創立100周年記念 神工会報 第100号

創立100周年記念 神工会報 第100号

創立100周年記念として、神工会報第100号に掲載された過去の同窓会報の復刻版です。

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大正14年6月1日、「神工時報」創刊号が産ぶ声をあげた。85年前のことである。以来、保存されている中から本校の歴史の一コマを取り上げ、変遷を併記しよう。昭和の激変の中で廃刊もあり、全号そろってはいないが記録を辿ってみよう。

創刊の辞 会長  秋山岩吉

神工年を経ることここに10有5歳進展に次ぐ進展、膨張を以てし、今や卒業生の数のみにても大約1000を数へ在校生600教職員50名、もし之に補習学校生をも加へたらんには、遂に2000名を突破するの盛況を呈しているのである。

既に此の如き一大勢力の出現を見たる上は、必ずや之にふさわしき完備せる報道機関の必要にして欠くべからざるは敢て多言を要しない。宣なる哉頃来之に対する与論は次第に高まり、遂に第12回の総会に於て「神工時報」創刊の提案可決を見たのである。

神工年を経ることここに拾有5歳進展に次ぐに進展、膨張に次ぐ膨張を以てし、今や卒業生の数のみにても大約1000を数え、在校生600教職員50名、もし之に捕習学校生をも加えたらんには、遂に2000名を突破するの盛況を呈しているのである。既に此の如き一大勢力の出現を見たる上は、必ずや之にふさはしき完備せる報道機関の必要にして缺くべからざるは敢えて多言を要しない。宜なる哉頃來之に對する輿論は次第に高まり、遂に第12回の総会に於いて「神工時報」創刊の提案可決を見たのである。

総ての社会機的に結合したるときに於てのみその威力を発揮する。而して神工同人をしてその有機的結合をより強固にすべき最良の手段はより完備せる報道機関に待たねばならないことを余は信じて疑はぬ。従来の年刊の雑誌を月刊にしたる本紙の意義は実にここに存するのである。

萬物は流転する。流転は人生の姿であり変化は宇宙の意志である。本紙の内容外観もこの理法に従って、刻々に変化し流転して行くに違ひない。希はくは神工同人諸君の熱意なる御尽力と御援護とに依って本紙が益々改良され充実され一歩創造的進化への過程を進みゆかんを祈る次第である。

大正14年6月1日号

当時、同窓会長は学校長が兼務された。創刊号はA4版縦型10頁・右開きであるが、横文字は右から読む時代であった。

第12回総会報告によれば収入は187円80銭、出席者は145名である。発行は毎月、時に隔月で年10回といえる。内容も最近生徒異動として休学の許可や退学・復学許可・死亡者報告そして職員異動がある。

4月24日、県下首位の難関を見事に通過したる誇りと喜びに輝く120名の英才はこの日主賓として講堂に招じられた。

(新入生歓迎会より)

「神工時報」は右書きです。横書きの時は右から左へと読むのが常識でした。

第十号では新聞の目次まで書かれ、全十頁です。この時は毎月発行をつづけており有料販売でした。

欠落

第19号から第41号。昭和2年1月15日発行か ら2年間、神工時報は欠落、保存なし

大正期 最終版 17号

大正15年11月15日 10頁有料販売方式であった。

本紙定価 1部8銭 半年45銭 年間90銭

広告料 全面10円 半頁6円 1/4頁3円 1/8頁1円80銭にて運営していた。

神工時報

第42号 昭和4年2月15日号

20周年記念事業案では攘金1口1円とし最低3口を希望。卒1~3は10口、4~6は9口、7~9は8口とする。表紙タイトルが縦文字となった。

第44号 昭和4年4月15日

選ばれた127百名として全員の氏名発表。

機械科42名 建築科21名

家具科16名 電気科32名

図案科16名である。

42~48号(昭4年11月30日)はほぼ隔月発行されている

校長公宅   二渓寮

特にこの頁は当時の文章内容をそのままにしました。旧なかづかい・旧漢字などなつかしく、そしてむずかしい文章でもありました。

生徒募集をよくご覧下さい。当時は小学校を卒業して入学します。そし5五年間専門課程がありました。文字も漢字・ひらがな・カタカナと多用です。

学校名は神奈川県内で最初の工業学校のため、県立工業という呼び名でスタートし、次からは川崎・平塚と地名のついた工業学校がつくられました。

また、古い神奈川新聞を拝見しますと合格者が発表されており、しかも成績順で機械科○○○○と書かれており、びっくりしましたが、むしろ個人として名誉なことでもありました。

50年史で神代量平先生(電7期)の談話です。 楽しかった寮生活

いろはにほへと・・・…と10部屋がありました。15畳に7~8名はいり、机・本箱・洋服かけ・洗面器等皆学校から貸与、それで舎費は1円、食費が7円50銭。授業科50銭だから月11円もあればあみだもやれましたし、大きな浴場があって毎日入浴できたし、上級生も民主的で、まことに天国でした。

また寮生活では、ノミがいたのには弱りました。勉強も消灯後図書室や病室でやりました。時々寮のコンパをやり栗めし、牛めしを食べました。(談)

秋! 新学期開始に際し 校長の訓話

海に山に楽しかりし6週間の休暇は滞りなく終わりを告げ、9月6日午前7時30分第2学期始業式は開始せられた。

振鈴と同時に600の健児ははち切れる許りの元気を其の黒き双頬に輝かせ勉学にスポーツに大に活躍せんものと各々に自信に充てる面持にて 講堂に集合。

秋山校長より次の如き訓話あり第2時限より平常通り授業が開始された。(略)

帝展へ4回連続入選 工芸に飛躍する 秤 雄

美校在学中より其の手腕を認められよく入選の栄を獲ち得たる秤雄吉君(12回図)は、本年も其の力作は易々として厳選をパスし連続4回入選のレコードを作った。

作品は(鋳金製テスリ)で、其の着想の斬新と工作の巧緻とは一新機軸を出せるもの、斯界の寵児として美術工芸中堅作家たる君の傑出せる技倆は特選の栄誉の遠からざるを期待し、益々精進せられん事を希ふものである。(略)第87号 昭和8年10月31日

変遷の中で

神工時報第88号が昭和8年11月30日発行され、トップ記事が〝皇国の危機近し〟とする桧垣大尉(配属将校)の文である。こうしてわが国は戦時体制へと入りこのあとの新聞が保存されていない。発行の有無がはっきりとせず第二次大戦後の昭和29年7月5日付の神工時報第4号となり、19年の空白時代である。

満州事変・支那事変から大東亜戦争へと続き昭和20年の空襲から敗戦、戦後の混乱期を経て学制の改革。本校も県立工業学校から神奈川工業高校となり、女子が入学しPTA活動が生まれ文化の華ひらく時となった。

こうした中で新しく会報も生まれ再生した。

第4号は昭和29年7月5日号である。

皇国の危機近し 檜垣 大尉

皇国は何故に非常時なのか……こんな問を今頃する位陳腐なことは無い。

それには誰でも答えるであらう『昭和十年、十一年は皇國の危機なのだから』と。先ず吾々が第一に考えねばならないことは、満州國の為にする吾々の努力である。

昭和八年三月二十七日国際連盟脱退に際し、勅してのたまく

今次満州国ノ新興ニ當リ帝 國ハ其ノ独立を尊重シ、健 全ナル発達ヲ促スヲ以テ、 東亜ノ禍根ヲ除キ、世界ノ平和ヲ保ツ基ナリト為ス

と示し給わったのである。

然るに世界各国は、満州國の独立は世界平和に害ありとなし此の取消を要求して居る。故に我が國は国際連盟を脱退したのである。然も、それは唯声明をしただけで事実効力の発生するのは即ち昭和十年である。

(当時の配属将校 記)第88号 昭和8年11月30日

昭和10年代

昭和10年代は言論・出版界は暗黒の時代で、民間はアカ刈りと称して共産党活動は非合法、軍隊でも軍事郵便は検閲を受けた。戦後民主化の波がひろがり文芸活動は自由に発表され、本校の新聞制作活動も28年頃は神工時報・会報・校報の三紙が同窓会・全・定の新聞部でつくられた。

山賀校長病気のため退職され母校校長として18年、教育界通算38年の第一線から身を退くことになった。日支事変・大東亜戦争・空襲による学校の焼失、連合軍による接収から復興再建と波瀾万丈の中、校長としての重責を全うされた母校の大恩人である。後任は横須賀工高・副島校長として神工時報第4号(29・7・5)に発表された。

同窓会長は大正6年、秋山岩吉(2代校長)から昭和22年3月まで山賀辰治(3代校長)。高校となった22年度から同窓生の鈴木勘司(機械1回)となった。会名の神奈川工業会は大正6年より継続している。

校舎

校舎

校舎

50周年式典ひらく

昭和36年5月1月13~16日創立50周年記念式典・行事がひらかれた。

5月13日(土)

記念式典 午前10時 講堂展示会  式後来賓のみ

祝賀会  午後1時 二階

芸能祭  午後1時 講堂

5月14日(日)

展示会  午前9時 各科

PTA祝賀会 10時 講堂

同窓会 〃  13時 〃

芸能祭 午後4時20分講堂

招待試合  テニスコート

5月15日(月)

展示会   午前9時各科

体育館開き 午後4時

会計報告 978万6980円

収入

PTA 538,6740円

同窓会 350,000円

会 社  538,000円

その他  355,958円

支出

事業費 7,926,583円式典費 1,465,919円

本部費  38,8196円

昭和36年12月1日発行

創立50周年記念誌より

巻頭言(50年史より)学校長 副島一之

初代の杉本源吾校長は自身優れた技術者であり、緻な企画と熱意あふれた活動で、本校の基礎を定めて大正10年に技術の世界に入り、二代目の秋山岩吉校長は建築専攻の格謹、誠実な人格者で、よく23年間本校を育て上げた。

秋山校長が大正・昭和期にかけて生徒一人一人を記憶するほどの打ち込み方で育てた青年達が京浜工業地帯の生い立ちと共に育った20年は、そのまま日本の工業の成長史でもある。

3代の山賀辰治校長の大きな構想抱負は、戦災で灰燼に帰し、復興など思いもよらぬ虚脱時代に県の理解を克ち得て、全国最初の大復興計画に乗りだした。戦後間もない頃の4ヶ月に及ぶアメリカ視察で得た貴重な資料となっている。

山賀校長の17年の後を受けて私が赴任して7年、毎年新しい建築に追われ大校舎が完成した。

母校半世紀のあしどり 荒井 正治(図案25回)

県立実業学校は明治39年の県会で「農業学校或いは工業学校がよかろうとし提出された」横浜より川崎方面に工場が続出され一大工業地となるであろうとされ、44年5月10日県告示「神奈川県立工業学校ヲ横浜市神奈川町に設置シ明治45年4月ヨリ開校ス」と決まる。 

3月末の志願者は機械科170、建築科60名で、前者は45、後者は22を入学許可した。教諭八、柔剣道、水泳嘱託4の教員もととのい、5月1日授業も開始したが実習は翌年であり、第1回卒業生は3年で機械科33、建築科18名であった。

会長は井上正一氏(機械3回)

副会長 神代氏(電気7回)、高木氏(電気18回)就任

第18号 昭和38年11月30日

◇月例懇親会が毎月第二火曜日に中小企業会館でひらかれ、専門分野の発表など会員同士の勉強会が29回目となり出席者は900余名となった。

◇9月24日、NETテレビで母校が紹介された。文部省の〝日本の教育〟で選ばれ同窓会員も参加、ゲストに元母校教師で日本ビクター専務の高柳健次郎氏らが出られた。

◇足柄下郡松田町の松田分校が今年限りで廃校、昭和25年に建築科・木材工芸科昼夜50名を募集した。卒業生は昭和29~39年の間522名である。

技能五輪で金メダル

第20号 昭和41年1月1日

◇7月19日英国グラスゴー市の「技能オリンピック」大会で定時制機械科3年の浜田正二君(東芝・浜川崎工場)が「曲げ板金工の部」に出場、見事優勝した。

◇夫妻で 日展入選!◇

榎本健一氏(図案27回)が奥さんの陽子さんと共に入選された。日本画部門の〝横浜夜景〟である。氏は芸大で日本画を専攻され横浜高校で美術担当教師として活躍された方である。

◇坂間俊造先生(数学・機械3回)は四月一日御勇退されました。大正12年から長い間有難うございました。

22号 昭和41年5月25日

神代量平氏(現・事務局長)母校を勇退。38年の教職から会務に専念される。在職中は舎監、戦後は卒業生の就職担当を、感謝!

第23号昭和42年7月15日

武道館完成!設備は防護付蛍光灯がつき床も柔・剣道ができる。総工費は七一六万円、三百平米の広さ。

神奈川工業会ニュース 第1号昭和44年10月15日

井上理事長バックネットを寄贈。機械科・建築科の新実習室が完成し、校内の設備もそろい、計測実習など能率的になった。

同窓会館建設に全力を

第27号 昭和45年8月17日

建設寄金1口500円で、目標総額3500万円を!全同窓生の協力を求めて60周年記念事業として同窓会館建設を呼びかけた。(建設委員会を組織し、活動したが実現に至らなかった。

ニューロング精密工業株式会社 六日町第2工場竣工!

ニューロング精密工業株式会社(代表取締役 井上貴靖氏・機械17回)は、昭和55年11月、生産30%アップをめざし新潟県六日町工場を完成した。

スクリーン印刷機は“空気と水”以外のものならなんでも印刷でき、金属・合成樹脂・ガラス・布・その他特殊材に印刷できる。

そのシェアは需要の拡大した現在でも90%と断然業界第一の地位にあり、電気機器のプリント基板と時代の先端利用が多い。

カバゴンこと 阿部 進さん(機35)

私は戦時の旧教育と戦後の新制教育を経験した。在学中「カッパ」さんの教訓や数学の湯本先生に「あべ口を結べ」とよく叱られ、上級生になぐられるうちに終戦となった。

学校も焼けて後かたづけや他校への間借りと大変でした。中古の旋盤を買っのが県下機械科実習機の第1号だったのでしょう。

こんにちわ同窓生 電気24卒  矢嶋 三策さん

第50号 昭和59年2月25日

横浜は港の町である。川があり、海があり船がある。そして海の男も多い。桜木町で降り川を渡った所に宇徳運輸の系列宇徳海運㈱社長の矢嶋三策氏は、柔和な顔立ちの中にも志を貫いた〝海の男〟である。

◇17才で部下2人、東京電灯(現・東京電力)3年間

◇高等商船航海科へ入学 席上三年、砲術6ヶ月、帆船 及び汽船実習で2年、5年半となる。

◇39歳、「十勝山丸」の船長、東京・釧路の定期船。

◇36年淡路山丸で西まわりの世界一周へ   (略)

こんにちわ同窓生 電気35卒  尾上 秀夫さん

緑の木々に囲まれた広い敷地。点在する校舎や建物。ここは東京都小金市にある東京職業訓練短期大学校には、全国にも数少ない“環境科学科”がある。労働省所管、雇用促進事業団設置というこの学校ももう夏休みに入り、人影もまばらな実験室で、尾上秀夫さんと3時間も対談をしました。高橋・新井 記

見出しから時代を追って 第60号~第71号

第60号 平成元年10月20日

同窓会育ての親 神代量平さん(電気7会)を偲んで 座談会 天与の使命母校ひとすじ─〝根性〟でつくった同窓会名簿!──日常活動として会報はパイプ役─貫き通した母校愛

第62号 平成2年19月20日

55年ぶり! 準優勝旗に輝く

第72回全国高校野球 神奈川大会 ミラクル打線あと一歩 神工1対3Y校

第65号 平成4年5月20日

母校80周年式典 祝賀会盛大にひらく

神工よ永遠なれ 同窓会長 神谷 恭平

校長 二宮要蔵→吉田 壽(通信39回)

第66号 平成4年10月25日

総会にて加山昇市(建築27回)さん会長信任。神谷恭平(機械24回)さん大過なく6年間務められたことと感謝のことば

神工改築 単位制高校を敷地内に!

県は単位制を基調とする「新構想高校」の建築にいよいよ着手する。九月補正予算案に本年度事業費55億2400百万円を盛り込んだが、10階建ての高層校舎は情報化時代に対応してインテリジェント化、生涯学習を考えて温水プールや多目的ホールも設置する。平成7年度の開校を目指す。(9月5日神奈川新聞)

落成式 2校つづく 同窓会より校旗を贈呈!

第71号 平成7年5月15日

落成式は、母校が主催した5月2日と県立神奈川総合高校主催による5月6日の2回にわたり催された。

久保倉新校長のもと体育館に新旧職員・在校生・PTA役員そして同窓会も役員・理事が出席した。

後日、同窓会の呼びかけで学校・PTAの三者による「どうなる神工!というテーマで“よりよい明日を願う”座談会をひらき、両校の友好と発展にむけての話し合いがもたれた。

テレフォンカード

左側より本校体育館10F教室、中央部は玄関から共通スペース、プール、食堂がある。右側は総合高校

事務局新組織で発足 川口 政治(建築38回)

第74号 平成8年10月15日 

本号から4人組で運営することになりました。植手(建39)山本(通40)理事は渉外と名簿関係も担当、新井(機43)理事は会報と広告、私は総務経理と総括担当です。

出勤日は火・金の週2日 。10~16時となります。複数の人が定めた日に連絡できる体制をつくりました。

住所録づくりに40冊の電話帳

第75号 平成9年5月15日

事務局体制が新らしくなり卒業生の住所確認作業をすすめています。第一目標は名簿作成であるといっても過言ではありません。東京・神奈川全域の電話帳40冊をそろえ、旧名簿と首っぴきで追跡調査をしています。

(74号)発送数1,453。返却数119、再送付30、不明73、死去17が実数です。

新会長 北見 寿慶(電通35回)氏

第76号 平成9年10月15日

新  会 長   北見 寿慶(電通35回)氏

〃 副会長  玉野 直美(建築63回)さん

〃 事務局長 川□ 政治(建築29回)氏

香港返還式典に参加

㈲萬来軒代表取締役の呂行雄さん(憬晨暴が、横浜華僑総会会長として、中国、英国、香港特別行政区の各政府から返還に関する行事の招待状が次々と届き、大陸系の在日華僑代表として参加された。(平成9年6月29日 朝日新聞より)

ソーラー自転車競争世界大会出場

東北秋田の男鹿市船越でレース当日を迎えた。スタートは釣谷2番手の峰はチエーンが4回も外れたと云う。完走は野中の脚力にかかる。3時間17分37秒で73中の33位、高校生チームとしては4位の成績であった。

電気科3年 山下 隆俊

90周年記念式典 弥栄(いやさか)祝賀会盛大に挙行

記念講演「21世紀をリードする」国際キリスト大学 学長 絹川正吉氏が華をそえる

祝賀文寄稿の方々

井上 貴靖(機械17回) 本年卒寿、盛況を祈る

石井  巌(機械20回)  卒業後68年となるが元気

恩田 友重(機械23回)  90周年式典盛大にて大慶

鈴木 己代治(電気23回) 半世紀の思い出尽きない

神谷 恭平(機械24回) 興奮し祝辞内容を忘れた

佐藤 正男(電気17回) 神工で精神教育の思い出

森山 三郎(電気21回) 負けずに勉強した青春時

藁科 満治(電気35回) 今昔の感あり!

加藤 市蔵(建築18回)運動会リレーでは花形?

竹内 幸助(電気23回)M型魚雷で艦艇を狙え!

土倉  保(機械26回) 年とともに深まる友情

絹川 正吉(機械34回) 記念講演 母校のために

実行委員長 中山 春雄

学 校 長 海野 範幸

教頭(司会)山下 昌幸

会報サイズが“菊版”

第82号 平成12年10月15日

今回から会報の紙面寸法が今までのタブロイド判から「菊判」と変わった。9段11字51行横巾278ミリ、8段12字47行横巾225ミリ、一般に使われるA4判から縦に横20ミリ程大きい特殊サイズである。(以後100号まで、菊版を続けているが予算削減もあり、4頁となった)

会長再任さる

県西の同志小田原で

「1口5000円」の募集開始

堂々60名の校歌

100周年 発起人代表 名誉顧間に藤木幸夫さん(機械34回

第88号 平成15年10月15日

会 長  高山 章  通30

副会長  小松 茂  木40

 〃   新井 淑雄 機43

 〃   玉野 直美 建63

事務局長 川口 政治 建38

6月8日、母校会議室で総会がひらかれ右の役員が承認された。在校生からの会費徴収が困難な現状と規約の改訂、百周年にむけての鼓勣、同窓会名簿改訂版発行が審議された。

“終身会費”納入に協力を

第90号 平成16年10月15日

新卒者の納入・交渉中

◇生徒会◇

野球部 14年ぶリの準優勝 神工0対12横浜

第91号 平成17年5月15日

3月5日、青春に還って23名の語らい。終身会費、百周年事業、地域の活動を!

第92号 平成17年10月25日

母校100周年記念事業実行委員会を役員・理事全員で!

40期生、古稀を祝う

3回ある卒業式 全・定・三修制定時制 446名

第94号 平成18年11月15日

青春かながわ校歌祭参加

第95号 平成19年5月7日

記念事業の発起人会設立に際して藤木さんの快諾をいただきました。4年先とはいえ束の問です。同窓会はもとより学校・PTA共事業の成功を目指しましょう。