神工時報(復刻版)1について

神奈川県立工業学校(現在の県立神奈川工業高校)の同窓会報、「神工時報」の創刊号~第12号の復刻版です。

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神工時報(復刻版)創刊号

創刊辞  会長 秋山岩吉

創刊号 大正14年6月1日

神工年を経ることここに10有5歳進展に次ぐ進展、膨張を以てし、今や卒業生の数のみにても大約1000を数え在校生600教職員五十名、もしこれに補習学校生をも加へたらんには、遂に2000名を突破するの盛況を呈しているのである。

既に此の如き一大勢力の出現を見たる上は、必ずやこれにふさわしき完備せる報道機関の必要にして欠くべからざるは敢て多言を要しない。宣(むべ)なる哉頃来(けいらいお)これに対する与論は次第に高まり、遂に第12回の総会に於て「神工時報」創刊の提案可決を見たのである。

総ての社会団体は之が有機的に結合したるときに於てのみその威力を発揮する。而して神工同人をしてその有機的結合をより強固にすべき最良の手段はより完備せる報道機関に待たねばならないことを余は信じて疑はぬ。従来の年刊の雑誌を月刊にしたる本紙の意義は実にここに存するのである。

萬物は流転する。流転は人生の姿であり変化は宇宙の意志である。本紙の内容外観もこの理法に従って、刻々に変化し流転して行くに違いない。希(ねが)はくは神工同人諸君の熱意なる御尽力と御援護とに依って本紙が益々改良され充実され一歩創造的進化への過程を進みゆかんとを祈る次第である。

新人生歓迎会

次の文は図5馬場久彌君の歓迎会記録中より抜粋採録したものである。編集子

4月24日午後1時から新入生の歓迎会を開く、県下首位の難関を見事に通過したる誇りと喜びに輝く120名の英才はこの日主賓として講堂に招じられた。

機5馬場君開会の挨拶をなし、秋山学校長の歓迎の弁あり、終わって神工会各部の紹介に移る。学芸部として電5齋木君、剣道部として電5黒瀬君、柔道部として建5西村君、徒歩部としで図5堀内君、遊技部としで建5杉崎君、庭球部として電5本多君各々更(かわ)る更る登壇各部の内容目的等を逐一紹介するところあり。宮崎教授は謡曲について約40分に渉る卓見を述べられた。

3分間演説に移る。建4八木君、建2木所君登壇各々熱弁を振い終わって余興に入る。機5福山君面白い落語に講堂の顎(あご)を解かせ家4寺西君、薩摩琵琶本能寺を見事に謡い了(おへ)て破る許(ばか)りの喝釆を博した。その他謡曲ハーモニカ合奏等何れも黒人跣足の堪能ぶりを示した。

講談師三浦楽堂、モーングを着込んで堂々歩を檀上に運ぶ。咳一咳、満堂固唾を呑んで静粛となる。やがて口を衝いて出ずる物語は、貧しけれども心美しい一人の職人と、かつては世にときめいた武士の今は尾羽打枯らした一浪人との間に起った、血あり涙ある美しい話である。700の職員生徒あるいは笑いあるいは泣き、心行く迄耳洗の快を味ったのである。

上田君閉会を宣す。

原稿募集

卒業生及び在校生その他一般人士の御投稿を歓迎いたします。左に投稿規定を掲げますから御熟覧の上振って抑投稿あらんことを祈ります。

一 内容

(イ)和歌俳句新体詩等

(ロ)小品観想紀行等

(ハ)論説評論、研究発表等

一 締切 毎月18日、18日以後着は翌月号

一 用紙 字15詰行数制限なし(申込次第送呈)

一 宛名

(イ)在校生、編輯(へんしゅう)部員に提出

(ロ)卒業生及びその他の人士、神奈川県立工業学校内 佐藤一馬宛

なお、御尊稿掲載の順序は編者に一任ありたし。

編集同人

本紙編輯部同人として、左記17名の方々を同窓会長の名に依りて委嘱いたしました。全部在校生のみを以て組織いたしましたのは種々な便益を考へためでありまして、勿論、辺くに御住いの先輩卒業生諾兄等が、自ら進んで編輯事務におたずさわり下さることは双手を挙げて歓迎いたします。

黒瀬、浜中、西村、古川、平野、田中、杉崎、馬場、福山、斎木、渡辺、上田、片瀬、青木、八木、小野寺、神谷

以上17名の学級盟監の先生方には新ためて御了解御承諾のほど御願いいたします。

6月中学校行事予定

◇5月17日(日)挙行の予定であった運動会は雨天のため、二23日(土)に変更されました。尚同日が雨天ならば25日以後になる筈です。従而運動会に関する記ことは翌月号に廻りました。

◇追浜見学 6月9日(火)全校

◇マラソン大会 日未定(土曜日の予定)

◇剣道大会 本校講堂、日未定

◇競技大会 日未定(日曜日の予定)本校々庭

第12回同窓会総会  KS生

「今年はとても素敵なものが出来上がりそうだ。」そんな予感に何をするにも張合いがよく準備は思いの外速やかに着々として進捗した。

今日、大正14年5月3日。降るでもなし照るでもなし、どうやら「曇後雨」の天気予報が適中しそうな空模様である。窓より入りくる5月の風は、フレッシュな青葉の薫と共にうすら冷たい水蒸気を伴って5月といふ名にふさわしからん:肌寒さを感じさせる。

午前10時、既に待ち兼ねられた会員の諸兄は元気な顔をにこにこさせて受付に表われた。以後来校さるものひきもきらず午後2時迄に会員約120名、職員20数名を数えることができた。

緩く輪を書いた煙草の煙に包まれつつ古い卒業生も新たらしい卒業生も職員も皆一つに固りて愉快な談笑をしている有様は側で見る目も快い。外には青葉を濡らす雨の音がしとくと降り注いでいた。

午後3時の振鈴を合図に、講空に於て、第12回同窓会総会を開催する。司会者坂間俊造君の招きに応じて萩原林造君登壇開会を宣し。次いで秋山会長登壇する。にこやかな笑顔に巨眼を細めつつ渡り場内を見渡す。水を打った如くしんとした空気を透して、120余の瞳は一斉に慈父の顔をなつかしげに仰ぎみる。

「たまさかの日曜日で定めし主な御計画がありましたにもかかわらず、かくも御多数の出席をみたことは、私として実にこの上もなくうれしいことであります。どうか今日は一日中昔に帰って心置きなく愉快にお過ごしくださるよう切に希望いたします。

同窓会会員の数は本年度の卒業生108名を加えて915名という多数であります。これら多数の卒業生諸君は、各自その修学学芸技能を基として、ある者は会社、工場にあるものは独立して工場、店舗を開き、ある者は更に上級の学校や研究所に於て勉強を続けております。当年紅顔の美少年が今や堂々美髯の偉丈夫となられてかくも活動されておるのを見るとき天下また此の如き快心事のなきを思います。

今や吾が工業教育会の状況を見るに、この種学校の増設に伴って、これら学校の卒業生の数は非常な勢いで増加しつつあります。この間にあって斯界に雄飛せんとするには、個人としても非常なる努力を成すべきは勿箇のことよく団体としての統一、連絡をはかりその間萬一にも意志の疎通等のないようにしたいものであります。希はくは先輩諧君はよく後輩の諸君を指導啓発して益々:斯界に雄飛せられんことを切に希望いたします。

頃日来幹事諸君の趣向による種々なもよおしや御馳走が、満腔の歓迎を湛へて諸君を待っております。どうぞゆるりと御遊び下さるよう重ねて希望いたします」

高橋君登壇「神工時報」の報告をなし議事に入る。この時会長議長席に就き、これより議事に入る旨を宣す。

高橋君登壇「神工時報」創刊に関する提案理由の設明あり。議長質疑の有無を会に諮るに質問なく、萩原林蔵君及船津喜之蔵君の賛成演説ありて、採決の上一人の反対者もなく通過。

議長議事の終れる旨を宣し議長席を退く。

大高芳朗君、坂間君の招きに応じて登壇。同窓生に関する希望に対して大要次の如き演説がある。

「私共神工同人でかつマツダランプに勤務しておるもの同志がマツダ神工会なるものを組織しています。毎月一定の会費を拠出しこれによって、ある時は食を共にしある時は未見の地を探り、吉凶禍福之を分って恰も一家兄弟の如くに親密である。これが工場作業の能率を増進することは非常なものであって、かつ各自非常な心強さを感じるのであります。どうか、他の社に勤められておる諸君も、こうした会をつくられて折角神工同人のために御尽力あらんことを切にお願いいたします。」

次に小川準君会員感想として満州在住の所感を述べ、柳下國雄君より校友マークについての動機の提出あり最後に、吹野寛司君流暢なる語句にて閉会を宣し。余興に移る。

例に依りて三浦楽堂師モーニング姿で現われる。義士外伝「小田小衛門」の伝記を語ること40分。品に高ぶらず俗に落ちず、流石は三浦楽堂だとは一般の偽らぬ批評であった。

******************

此所神工同窓会の模擬店である。すしやおでんやだんごや、コーヒー店、汁粉や甘酒や、果物がのきを連ねて先生方が、おでんをほおばる。つんとすましたハイカラ紳士がだんごの横食をして怪しまない。ビクターの蓄音機は快いメロディーを送ってくる。何れの店も身動きならぬ大繁盛。

「福引! 福引!」

福引のベルが鳴る。開けて口借しい玉手箱。植木にでも水をやれといふんだなと如露を当て悦に入る老先生、早く世帯を持ての謎かと、火箸をなでて悦に入る独り者、もっと勉強しろよの強意見かとパイロットペンシルを抱へて徴笑む殊勝な古い卒業生。賑やかなこと賑やかなこと。夜の幕は次第に四隅を包んで落ちついた電燈の光が輝か出した。まだ疲れた色さえも見せない会員のめいめいはラジオ会場にして同時に活動写真会場たる講堂へと流れ込む。

活弁は束京活動写真協会より派遣された本ものであり、フィルムは有名なオーパーザヒルの姉妹編「愛は永久に」を始め有益にしで趣味深々たるもののみである。間々にはラジオの音楽に耳を楽しませる充分なる歌をつくして散会したのは10時を少し過ぎていた。

附記

会長及び大高君の御演説は勿々の節とて草稿を戴かずかつ不完仝なる小生の記録書の御訂正をもお願いいたしませんでした。従而本文の記者にあることをお断りしておくと共に、会長及び大高君に対してその無礼をお詫びする次第です。

御礼

表紙の図案は特に永田先生の抑好意によりで書いて戴いたものです。ここに新ためて厚く御礼申し上げます。

お願い

◇御住所御就職先等の御移動は成る可く速やかに御通知ください。

◇結婚出産及びその他の御慶ことは是非本紙を通じて全会員諸君に喜びの御裾分が願いたいものです。

◇萬一御不幸がございました節も前と同様直ちに御知らせを願います。

◇本紙の読者である600の在校生は卒業先輩諸兄の奉職されておる会社工場等の情況や種々経験談等をしきりに聞きたがっています。諸兄には夫々皆随分と御多忙なこととは拝察いたしますが、多少の閑でもございましたら、そうした話を本紙通じて、聞かせてやって戴きとうございます。

◇一般会員は勿諭のこと共他の商人等でいろいろな御広告をなさる向は、極めて低廉な料金で御用命に応じますから続々と賑々しく御申込みを願います。特に卒業生の広告料は低廉にいたします。念のため申し添へますが本紙の読者は約1600名です。

◇年頭の賀詞暑中寒中見舞の挨拶出発帰朝見送りの御礼等には是非共本紙を御利用ください。

論説 社会奉仕に対する覚悟  機械4年 片瀬

社会奉仕ということは総べての人がよく口にする言葉であるが。此社会奉仕ということを為すに依って社会は発達もし悪化もされるのである。然れば奉仕を為す事に対して吾々は非常な覚悟を要すると思う。

世間には非常に沢山社会に対して奉仕を為す人々がある。最近よく行われていた救護班等によって証明される。併し此等は大々的な奉仕であるが吾々は思わぬ一寸した奉仕的なことをなすのですが余り気に止めません。

これです。これが本当の奉仕であると思う。然るに、その心が少し大きくなると社会の人々から賞表される是を度々繰返した時にはその心は初めの心と違って一種の社会に対して職業の様な気持になる。その様になってくると賞表の為、御礼金ために奉仕を為するのだと考える。そうなると人々は次第に表面的になって来て奉仕を為せばそれに相当した表彰即ち一種の報酬を望む人も少なくない。

それから考えると報酬を受け取る為に奉仕を為すことは一種の商売になる。然るにある先生は社会に対して奉仕を為すことは職業ではない商売ではない報酬を得る為ではない、それは義務の為めである。実際そうです。義務の為です。吾々は社会に対して非常な恩恵を受けている事から考えると、吾々は社会に対して奉仕すべき義務があると云われる。然るに義務と云われると何んだか束縛された様な気がする。それ様な不満な気で奉仕を為したとてそれは前と少しも変わらなくなる。

悪心を持って義務だからといって奉仕を為すのも義務だ。前者の如く行ったならば受けるも人も受けられる人も互いに愉快になれない。従って共に不利不満となってくじけでしまう。その様な奉仕なら為さない方がましいだ。義務的に奉仕をなすことは一般的には余り面白くない。

吾々は義務の為めに奉仕をするのでなく自分が愉快になろうという本能を満足させる為めに奉仕を行って見たいと思う。然し共言葉の中には前の如き意味の奉仕とか義務とかと云うことは少しも含まれていない。ある人は報酬なくして何で社会奉仕が出来るかというが、ある書物の句に「与えるは得るよりも幸なり」とあるが、吾々奉仕をなす時にも愉快に喜んで愛に満ちた奉仕をしなければ少しも幸にはなれません。私は愉快で愛に満ちた奉仕を為すことを信じてやまないのです。

ある人? 機械4年 片瀬

ある人と題しました。併誰を指していうのでしょうか。それは誰かをいうのだ、定っていない、けれど人を指すことは明である、実に危険な語である。

今、吾が学友があることをして非常に総ての人に尊ばれるようになった、それ故市の社会課から相当に表彰されたということがある新聞紙上に賞讃して記せられてあったとしたならば、それを読んだ諸君先ず第一にそれが学友の誰であるかということを考える。誰だろう自分かしら、または自分と何時も話している学友ではないかなどと疑ってくる。

然るに為された行に依って友の断定を付けるある人と示された時、誰でもよいことを為した人ならば、それが自分であれば、という様な考えを持つのが常である。その自分の今迄の生活を顧みて自分は人に恥ずることがないのだ。自分の手本となるべき行いをしている、と自分自心確実な快心を持っているならば、それを読んだ時に、人知れず愉快さを感じるのである。この様な人には先生が来ようと、大臣、知事、巡査、判事の前に出ようと向う所敵がないから赤くならず堂々と目分の意見発表が出来る。この様な友を持ちたいものです。

今ある人がある家に行きある物をひそかに取る様なことをして、社会また学校中の注意人物となったことを読んだ、ある恐怖心を以て是を見る人は今迄の生活に色々な黒い面と向かって話せないような行為があったにちがいない。その様な時にも吾々はかりそめにも恐怖心を起こさないで、それ人に同情を持つような人になりたいものです。

ある日のこと、本校のある生徒がある朝電車の鉄橋際を通りがかった際、一台電車が走って来て鉄橋上にかかった時、人を驚かせるような悲鳴と共に電車は速力を弱めたが、橋上を滑る如く走り去った。その後少して犬の悲鳴が非常に強く人の感情を思わせるように朝の市に響いた。

学生は学校に行くのがおそかったのだろう。急ぎ足で学校に向う途中でこの一事件にあったのだ。学生はすぐ川岸に行き犬をさがした。哀れな犬が助けを呼ぶのでしょう、実に悲惨な形状を示して、悲鳴をあげているではありませんか。学生は初めは躊躇したが、決心したらしくその場に鞄を棄て川に入り犬の近くに行くと、犬は喜ばしそうに一吠高く吠えた。学生も自分の弟でも助けるようにして、犬をだきあげ岸に上げると、それはそれは驚いたことには、犬の後足二本完全に切断されている。

学生は非常な情と愛とをもっていたわったということがあった。これは一種の実話にすぎないが、この様な事項がある社会新聞に大きく記されたとする。諸君この記事を読んで如何に感じますか。先ず吾校として一つの誇りと思う。ある学生として、自分等の生活の過去を思う。そしてある人は全然問題外な感じを起すでしょう。併し誰人でも自分が善なることで賞讃されることは、たとえ自分の氏名が記せられなくとも愉快に感じるのです。

青春を徒費する 友に捧ぐ 正司生

貴いとおとい青春を徒費する友よ。君等は青春の貴さを知らないのか。そしてその青春は刻一刻と過ぎて行くのだ。君等よ、僕の呈するこの一篇を聞いて下さい。その為に僕は責重な時間を費やしているということも知って下さい。

「人生は黎明である」

銀の砂を振りまいたような空想も黎明来たらば一つ減り二つ減りして四辺は次第に明るくただ五位鷺の声のみ。

「暗より明へ」そうだ。人間もこれと同じである。而して明な重大なれば大なる程その人は人格者であるか又博識家であるのだ。過去5千年にこの世の中で生を受けた人は何人だ、どれだけ多いか、それは我々の考へ得べき範囲で無い。その無数に多い人達の中で完全な「明」なる人は幾人あるであらうか。無いといっても過言ではあるまい。キリストと釈迦か、然し彼らとしても人間である。果たして明か。よしんば四代聖人なる人をもって明なりとしても僅か4人ではないか。

「黎明」それが入生の総てである。その為した事業の大小に関せず一言の下にいい尽かされてしまうのだ。

「生命と力とを自己の昇天に捧げよ」僕も人間だ。君等とでも人間だ。燃ゆるが如き向上心もあり自尊心もある。これら総ての集合である吾人の「力」とそしてその生命とを自己の昇天に尽さねばならぬ。力は無限に大きい。されど生命は有限である。有限の生命に無限の力は表わし尽くせない。只少しなりとも多い、少しなりとも無限に近くその力を表わさねばならぬ。そして最も多く表はし得た人が偉入である。後世に名を残す人である。

君等の血は燃えている。君等の力は今や最も頂上に達しようとしている。そして君等の表現せんことを待っている。何故に躊曙するのか。君の未来を考えてご覧なさい。成功の道を考えてご覧なさい。野心を起されよ。更にその野心即大望を表現するように勉めなさい。その時に君の胸の内の力は実現しそして活躍するのではないのか。

「君に対する期待に報いねばならぬ」

君等の周囲を見廻して見給へ。君の両親は君の立身出世を唯一の楽しみとして生れ落ちるとより育てあげ、そしてなお学校へまで通わせてくれている。また君の教師は君の力を実現せしめるためにその種子を植え付けているではないか。更に多く見渡して見給へ。君の衣を貢ぐ者、食を与える者、皆君の偉大なカの実現を期してそれ等を供している。社会では君に期待をかけて居るのだ。この期待、この大きな期待に対して君は裏切ってはならない。

「されば肯春を徒費する勿れ」

青春の貴いことは、今更いう必要も無い。学も修めねばならい。徳も磨かねばならぬ。また礼も練らねばならない。こうした急がしい青春を何故あって徒に過そうというのだ。少しも早く自覚せられよ。そして自覚したその瞬間から直ちに勉め励めよ。自覚は成功に対する最大の加速度である。さらば一刻も早く自覚せられよ。青春は刻々と過ぎて行くのだ。現在に満足してはならない。己れの達すべき目的に対してまっしぐらに前進せよ。(この事については後に機会があったら述べるとしよう)

「成功の三大要素」

最後に致って成功の三大要素を記してみよう。これも僕の考えで他から選んだのではない。

一、常識をたくわえ習得に勉めよ

二、一度立てた目的を変更する勿れ。

三、空想に走らず実現に務めよ

一及び二は何人も分るであろう。

三は次の如き意味で書いたのである。一度目的をたてたならば直ちにその時から、実現につとめねばならない。「学校を卒へてから」とか、「その内に」などいって怠るのは失敗の第一の原因である。

大正14年度 第1回商議員会

(4月18日午後6時より母校に於て開催)

出席者別表の如く27名。簡単なる晩餐を終えて会長間会を宜し議事に入る。

一、幹事互選に関する件

鈴木勘司君の動議により会長の指名を乞う事に決し指名に依り別表の諸君就任す。

一、約会に関する件

イ、時期 5月3日(第一日曜日)午後1時より

ロ、会場 母校(当日晴天ならば校庭、雨天の節は生徒控所)

ハ、会費 金1円15銭

慎重審議の結果上記に決しプログラムに入る。

イ、午後1時より3時迄 懇談会(各控店に於て)

ロ、2時より総会(講堂)

ハ、4時より余興

一、講談 三浦楽堂師に交渉すること

一、模疑店の計画

飯島君 同窓会員となりてより未だかって一度も会則なるものを見たる事なし。時折機関雑誌に発表願いたいと希望し。

荻原君 同窓会の一事業として時々各自の研究発表あるいは名士の講談会を開催しては如何と諮りその理由をるる述べらる。一同その主旨に於て賛成なるも実行の困難なる事多々ありとて不賛成のものあり議纏まらず。

会 長 研究会も宜しからんが事実これが実行上種々の困難あるは諸君と同意見とすとて同窓会が各種専門の異れるものの団体なるに依りて研究資料も広範に亘りこれを小とすれば一部特殊の人達のみの会合となり同窓会として実行難に陥りその効果も比較的勘かるべし等種々実行上の不可能なる点を指摘し、若し各科卒業者が自己の専門外の研究をなさんとするならば母校附設の補修学校の夏期講習会を利用しては如何と促し。

萩原君 然らばその時期講習内容等決定次第雑誌に発表していただきたいと希望す。

益田君その他 会誌を年2回発行しては如何と提案。

高橋君 結構なる事なども一回発行に於てすら内容貧弱、在校生の作文帳などなど兎角の評あり。この点編者としても充分自責しいるも寄稿少なきを如何せん。刻下の急務としては回数を増すよりも内容の充実を図る事に一層の努力を致し諸君の奮闘を切に希望したしと答えなお種々希望する所あり一同了解して打ち切る。

時に正に午後10時会長閉会を宣し一同解散

商議員会出席者

秋山会長、仙波副会長 、中山・上島両教諭、萩原 林蔵、磯田榮一郎、村松 幾三、

飯島 利貞、鈴木 勘司、川村八太郎、小川  実、鈴木 由郎、堀 文雄、

橋木猿三郎、田沼 起八郎、青木市太郎、中村 静雄、深瀬覚五郎、船津喜三郎、

谷田 三郎、二見 武次、内山 太郎、高橋  暢、大江 良吉、佐藤 一馬、

板間 俊造、石橋 栄治

以上27名

大正14年度 第1回幹事会

(4月25日午後6時より母校に於て開催)

出席者、秋山会長外9名、増田、青木両幹事欠席、一同にて総会案内状表書約800余を手分けして認めおわりたる後議事に入り主として総会に関する細分の打ち合せ即ち受付係、接待係、総会諸係、余興係等それぞれ分担を決定。なお余興のプログラムに活動写真映写の案会長より提示せられ一同異議なく可決す。

映写器械は今回母校に於て教育資料の為め購入せる最新自働式のものにして、当日それ初公開という事なり。映画は中央活動写真協会特選の優秀なるもの二三巻説明者付にて交渉纏まれるよし。当日は一層の盛況を添える事ならん。

総会に関する諸準備分担決定の後高橋君は誰誌神工を月刊の小新聞としては如何と提案し満場の賛成を得て編集に当たっては新鋭の佐藤一馬君の労を願う事に決し総会に於て決議案として提出することとする。閉会10時30分。

編集余禄

O陣痛のかなり劇しかっただけ、それだけどうやら無事にこうして生れてきた愛児の姿を見いと、憎い程可愛いのが人情である。そしてそれがそのまま編集子の心である。

◇「愛するが故の叱責」「愛するが故の御忠告」「愛するが故のご鞭撻」それらは愛児神工時報にとっても皆等しくよりよき成長への慈雨である。幸いに諸兄の御高庇を御祈りする次第である。

◇過ぎし月日を顧りみるのとき、淡い憧憬と限りない数々の追憶とは頑なにひがんだ人の心にもナイーブな温かい人間味を持ち来す。そのところに人間性の弱さと美しさとがあるのである。それなしも感じない人間は、人間の形のみ備えたマシンである。

◇全校生徒に正課として、勤めて高尚な音楽を課するのも、生徒が自由に使用しうるオルガンを備えておくのも、時々文芸会や学芸会を催すのも、人間らしい人間を完成させたいという秋山校長の自愛心からである。

◇中村というよりも、頭のはげた靴屋のお爺さんという方が分り易いであろう。相変わらず元気なもので、白髪童顔今もなお「お爺さん、お爺さん」と生徒たちに馴れ睦まれている。遠足や修学旅行のときは、定って信玄袋を大切そうに持って、にこにことついてくる。

◇かつて諸兄の愛された靴屋の爺さんは、こうして来る日も行く日も晩酌に一合に陶然としつつ平和な日を送っている。求めざるものの幸福は吾等のかく近くにあったのだ。

(編集を終えるの日)

第2号 大正14年7月1日

恩師の書簡 KS生

はしがき

強情で片意地で負けず嫌いで、その上ややもすれば己が身を巻き込んでしまいやすい私が、幸い大過なく今日まで人生の海を航し、今もなお限りない向上の思念に燃えて理想の悲願を夢見ることができるのも。実に心から案じてくださる先輩恩師の賜物であろうことを思います。

ここにいうE氏とは、私の先輩でありかつ恩師である、某名士であります。文学士、法学士がその学位で、弁護士がその職業であります。最近同氏より寄せられた書簡は私一人が読むにはあまりに勿体ない気がします。でここに氏のご迷惑にならない範囲において、その大意を諸兄にお伝えします。もし諸兄の中のたった一人でもが本書によって何らかインスピィレートされるところがあるならば、私の満足はこれにしぎません。

S君

その後はご無沙汰に過ぎていましたが貴君は学窓をおえてのち今日までに色々の變化─精神上─生活経験上─があることと察します。が現今すべての生活を通じてその中心として意識せられている一点はどんなものですか? 糊口の生活に追われて学成り難しということはないでしょう。理想を追う青年の血に枯れて俗世界に沈んだということもないでしょうね。老人は過去に活き、中年者は現在に活き、而して青年は未来に生きているのです。私どもは常に青年でありたい。否青年であらねばなりません。然らば青年の本領は如何? 曰く鈍! 曰く至誠! 曰く熱! 故に私どもはその日常生活が透明であらねばならない、事にあたって虚構があってはならない。濁りなき緑の色を溢れて、何処より見るも極めて感じよきものであって欲しいのです。而して自分の道に忠実にまた当たって熱あるものでなければならないと固く信じています。

然し実世間に処してみると以上のような青年の本領では却而(かえって)世渡りができない気がするでしょう。貴君も学校卒業後はここに年ありだからその間の生活経験から何かを考え、もしまた体験も得られたでしょう。

僕は一空想家と呼ばれても満足しています。何故ならば私は私の空想あるが故に天上には偉大な力を仰ぎ、自分に敬虔な念慮を抱くことができ、俗世を○○し、その間に立って自分の仕事に任務を感じて生命ある否生命ありとする生活を辿れるからです。僕にこの空想がないとしたら人間という一動物の境涯から一歩も出ことができないでしょう。僕はどんな難局に処してもこの空想を捨てなかったのです。今後も常に自分の空想を生命として、凡ての生活の中心として生きてゆくのです。これあるが故に僕は自分を貴く尊厳あるものに取り扱っています。

弁護士の業はかなり骨の折れる仕事ですが、また私には興味の多いものです。然し教育事業から見たら、私にとっては興味の少ないものに思われます。私の教育の興味は教団のみを中心とはせぬもので、むしろ教育外に青年の相談相手や精神上の指導──否空想の注射の方が興味の中心でありまた世を益することが、今の仕事より大なるを思います。

色々の事件にも当たって日本人の精神生活のあまりに空虚なるにあきれます。今日帝大あたりの卒業生でありながら犯罪意識に欠けたかなり念入りの馬鹿者をみると実に寒心に堪えません。

貴君の将来に対するご予定は何ですか? 例の案件についてその後一向にご無沙汰がありませんが案じております。何れに向かわれるにしても大いに将来の予定を立てて、今日に努力せられんことを念じています。

只今午前1時半、この手紙を寝床の中で認めました。実はフト貴君のことが思い浮かばれてしみじみと話してあげたい気になったからです。否貴君の心の姿が何となく物寂しいように思い浮かばれたからです。

S君

境遇を征服し給え! 境遇に押し流され給うな! 徒に境遇に順応して生気を失っては不可です。精進! 努力! 勇奮! を祈る。

校内の記事 春季大運動会の記

朝嫩の空に轟々と響く砲声は早くも神工春季大運動会の開かれたしらせである。

わが運動会の特色あることは別紙のプログラムによっても明らかであるが、さらに本年度においては、同窓会主催の下に、校内製品および卒業生関係の会社工場における製品の廉価販売をなし、当日の生協をいやが上にも盛んならしめたと共に、益々わが運動会をして特色あらしめることを祝賀したい。

当日はあたかも土曜日だったので、午後からの人手は一層おびただしく、さしもの広い運動場も観衆をもってぎっしりと埋められた。

入口に建てられた、大アーチやスフィンクス、野趣満々、奇想天外のポスター、最新流行のラジオをかたどるあかぬけた装飾等、各科各様なれども数千の観衆をして三款せしめたのであった。

競技はさの故障なく進歩し、学生生活の中、最も華やかにして、楽しみ多き運動会は午後5時30分を以て無事終了した。

第11回春季運動会順序

1 整列

2 君が代

3 開会の辞

4 競技

5 整列

6 賞碑授与

7 閉会の辞

8 万歳三唱

競技種目

100メートル競争、200メートル競走、400メートル競争、800メートル競走、

1500メートル競走、長距離競走、10分間競走、跳躍、投擲、100メートル優勝者競走、

リレーレース、200メートル優勝者競走、尋常小学校選手競争、高等小学校選手競争、

補習学校生徒競走、来賓競走、職員競走、各学年選手競争、猫袋競走、櫓架競走、百足競走、

計算競走、抽籤競走、ABO揃え、兎跳び競走、障害物競走、3人4脚、スプーン、長下駄競走、

棒立競走、協同一致、下駄作り、棒倒し、野仕合、歩騎競走、全校体操

神奈川県立工業学校 同窓会 会則

第1条 本会は神奈川県立工業学校同窓会と称し、同事務所を神奈川県立工業学校内に置く

第2条 同会は会員相互の友誼を温め便宜を図りこの業の発展に資するを以て目的とする

第3条 本会は左記の会員を以て組織する

1 正会員  神奈川県立工業学校卒業生

2 名誉会員 神奈川県立工業学校職員および名望学識ある者にして本会の推進に係わる者

第4条 本会の目的を達するため毎年春1回総会を開き、並びに会誌を発行する。ただし、臨時総会を開くことあるべし

第5条 本会に左の役員を置く

1 会 長 1名 神奈川県立工業学校長を推戴する

2 副会長 1名 神奈川県立を工業学校主席教諭を推戴する

3 商議員若干名 名誉会員および正会員より会長これを依頼する

4 幹 事若干名 正会員たる商議員中より互選する

必要の場合には会長の指名により地方幹事を設けることあるべし。ただし役員の任期は1年とする

第6条 役員の分掌の宜むること左の如し

1 会長は会務を総理する

2 副会長は会長を補佐し会長不在のときその代理をなす

3 商議員は会員を代表して会務を商議する

4 幹事は庶務・会計・編集その他本会一切の会務を処理する

5 地方幹事は地方会員を代表し必要の会務を処理し諸般の報告を掌る

第7条 正会員は会費として1か年金1円宛納入するものとする

1 本会生館員にして満10か月間滞納なく会費を納入するものに対してはその年より終身会費を徴収せず。ただし一時金に金8円を納入するものは終身会費を徴収せず。

2 正会員にして既に若干年会費を納入せしるものは金5円より納入済金額を引き、それに若干金を加算して次の内訳表によりて定めたる残額を超過するときこの規定によることを得ず

一、金50銭を納入せるもの4円60銭

一、金1円を納入せるもの 4円20銭

一、金1円50銭を納入せるもの 3円80銭

一、金2円を納入せるもの 3円40銭

一、金2円50銭を納入せるもの 3円

一、金3円を納入せるもの 2円60銭

第8条 会費未納1か年以上におよぶものは会誌の発送を停止する

第9条 本会員にして住所氏名就職場所等に異動を生じたるときは直ちにその旨を本会に届け出づるべし

第10条 会員中その体面を汚したるものあるときは本会より除名することあるべし

編集余禄

◇「三度炊く飯さえかたしやら会三度炊く飯さえかたし軟らかし」誠思うようにはならぬのが浮世。理想と現実とは兎角に離れがちなのが常である。

◇第一号は理想の10分の1も実現することが出来なかった。一は全く自分の無力と多忙が原因し、一はわが部の経済が貧弱なためでもある。いずれにしても諸兄のご援助とご同情により暫次充実完成されたものをつくりあげたい。

◇浮世離れた「象牙の塔」にも、不景気な波は、不気味な呪いのうめきを伝えてくる。しかしそうした中にたってわが神工の諸兄等がますます強い結合の下に相寄り相助けつつ堅実なる地歩を開拓しつつあるのを見るのとき、いいしてぬ愉快さを禁じ得ない。

◇しかも運命の神は兎角に悪戯好きである。もしも思わぬ浮世の波にさらわれて失業し少し露骨すぎるけれども─されるようなことがあったら是非申し出ていただきたい。会長は勿論のこと吾々神工同人一同及ばずながら出来る限りの尽力はいたすつもりである。

◇本紙をして作文の練習場にはしたくない。これは同人諸君の等しく抱かれる願望であると思う。ここにおいて割愛の二字を使用せねばならなくなる。

◇必ずしもテーマの完全を望みはしない。必ずしもスタイルの優秀を求めはしない。ただしかしこの新聞は1600人に近い人々が読んでくださるのであるということを確と頭の中に入れておいていただきたい。殊に比較的知識経験の浅い─(もちろんそうでない方も多々あるが)―在校生各位の三思されんことを切望する次第である。

この稿を終わるにあたりご多忙中にもかかわらず有益にして興味多きご尊稿をお送りくだされた諸兄に対し厚く御礼申し上げます。

(編集を終える日)

本紙定価

1 部 金8銭

半年分 金45銭

1 年 金90銭

本紙広告料

1 頁  金10円

半 頁  金6円

四半頁 金3円

八半頁 金1円80銭(神工同人 1割5分引き)

3か月以上定期 1割引き(神工同人 2割引き)

6か月以上 2割引き(神工同人 3割引き)

参考(当時の物価)

米10キロ 3円11銭、教員初任給 45円、山手線初乗り運賃 5銭、そば 7銭

神工気質を論ず(1)~(5)

神工気質を論ず(1)-(5) 佐藤 一馬

自分身及び自分の周囲に関する事柄は最もよく自分が知っておる筈でありで、しかもその正鴎を誤らずして之を客観批評することは、古来著名な文明評論家に於いてさえ難しとされたるものである。

私は固より所謂評論家なるものではなく、又決して評論家を以て任じておるわけではない。実を云えばそれだけの資格がないのである。けれども、真実を愛する熱情に於いて私は決して人後に落ちない覚悟を持っている。かつ自分と自分の周囲とに対して冷静なる反省と批判とを加へ得る丈の余裕と理性の力を具備しておることを信ずる。以上2つの頗る思い上った自信を基調として大胆にもこの一文を草しでみた。

(1)

私は先ず順序として神工学園の沿筆と初期に於ける神工気質の内容とを述べなければならない。

明治の後期より大正の初期にかけて工業立国の聲は朝野を挙げて漸く大となり、それに伴う工業教育に関する施設と研究とは益々完備の域に進みつつあったのである。県当局としてもこの時代の趨勢には必ずや少なからず動かされたに違ひない。また一方に於いて帝国の一等県として横浜という大商業都市を控へた本県が一の工業学校を有しないということは、その体面上からも忍ばれることではなかった、況や近代高業都市の盛衰がその殖産工業の背影如何にかかること頗る大なるものあるに於いてをやである。かくて明治44年5月愈々本校設置の神奈川県告示が交付され超えて45年5月1日より正式に授業を開始さるるに至りたのである。

創業の当初にあっては未だ神工気質と名付くる程の校風がなかったことは明らかである。然し乍ら今日に於ける神工気質なるものの濫傷は既にこの時に胚胎されたるものであることは少しく心ある者の容易に推定し得るところであらうと思う。何故ならば当時に於ける神工教育のモットーは一に質実剛健であり、二に勤勉忍苦であり、之に配するに多分の高工気質、技術者気質を持った高工出身者と、所謂現場で叩き上げた職人とがその教官の大部分であったからである。

粗末な制服にゲートルを付け実習に依って節くれ立った大きな手を無造作にふって、にこりともせず歩く姿、それはそのまま初期に於ける神工気質を遺憾なくシンボライズしている。そしてそこに他の追随を許さぬ優れた長所と、甚だしい短所とを持ったのである。

(2)

私は神工気質の主要なる長所として次の3つを挙げる。第一質実にして軽重浮華の風なきこと、第2勤勉にして労働を厭はないこと、第3困難に向って忍耐持久のカ強大なること之である。

之等長所を養ひ得たるゆえんを案ずるに、そは、他の中等学校に類例なき長時間の授業と、実習と、掃除その他による勤務とに期せねばならない。

一度卒業生が社会に立った時以上3つの長所はその修得したる学問技術以上に有力なる武器となること誠に疑いを入れないことである。

すべて形而下の学問のみを修むるものは兎角その頭脳が現実的になり易いものである。殊に神工教育の如く、実人生に即すること極めて深く且相当の筋肉労働を伴うものにあってはそうした傾向が一層甚だしきをみるのである。即ち長所を生んだ原因はやがて短所を生む原因であったのである。ここに於いて私は再び神工気質の短所を詳説せねばならない。

神工気質の短所を一言にて評すれば、全人的教養の欠陥である。更に語を更へて云えば、あまりにハンマーと烏ロに固着していること之である。そしてそれは等しく過去及び現在――現在は大分変ってきたけれども――技術者及び技術者たらんとした学生生徒の持つ欠陥であったのである。

年少にして既に早くこうした空気の中に浸入した彼らはその影響するところ又応極めて大である。青少年を価値づける、燃ゆるアムピションは彼等の手にする烏口の先から次等々々に失われ、或は全く影を絶って残るは小成に安んじて得たる安価なサラリーマンのみとなる。その眼は図板にのみ固着して、大局の如何は己れの興り知らざるが如くである。文学も、哲学も、宗教も、政治も、殆んど彼等の一瞥をも受け得ない。私は之を呼んで全人的教養の欠陥であると云い。

わが神工気質には以上挙げた短所の存在することはないだろうか。少なくともその幾部分かは何人と雖否定し得ないことを私は信ずる。

(3)

かつて我が国著名の工業家実業家の人々が欧米各国を歴訪し、その産業状態を始め工場社会の経営方法等を視察研究したことがあった。その時の帰朝談の一節にこういうことがあったのを自分は忘れることが出来ない。

欧米各国の工業社会に於けるマネージャー及びマネージャー級の人物は殆んど全く技術者出身の人々であって、またその高くして円満なる常識には実に敬服する外はない。彼等は如何なる社会事情に対しても常に一隻眼を有し、必要に応じて堂々とその所信を披歴し少しも渋滞するところがない。一々具体的の例を挙げて説明することは煩に堪へないが、一度彼等と文学を談ぜんか、或いはシェークスピアを語り或いはトルストイを論じ或はユーゴーを評し右往今来の大家及びその作品をとらえ来って言々尽くするところない。音楽・絵画・彫刻等に対してもまた此の如く、ショパンもベートーベンもメンデルリンもモーツアルトもミレーも或いはロダンもロマンローランもミレーもミケランジェロも直ちに彼等のロを衝いて出ずること恰も旧知の如くである。殊に勝れたるは政治及び経済に関する智誠及び見識であって、堂々たる政治論は、一国の大統領一国の首相としても決してはずかしからぬものがある。事実彼等の中にはそれ丈の力量手腕を備えたるものが多々あるのであるが、周囲の事情及び各自の立場等から出馬をかへんじないのである。

以上は概要中の述べたに過ぎないのであるが、僅か之丈のことによっても、彼等の教養と覚悟とがうかがわれて感に打たれずにはおられない。

この様なことを述べたからとて私は決してマネージャーたることが理想であって、純粋の技術者たることを卑下し軽蔑する程愚石ではない。現代の社会状況現在の社会制度の下に在っては、或は一生労働者としで暮らす者の方が尊く、マネージャーとして所謂手腕を振ふ者の方が人間としでは却而卑しいかも知れない。ヒューマンカルチャーの提唱は、決してかかる功利的から割リ出されたものであってはならないのである。ただ私は遇然こうした例を引き来ったに過ぎないことをお断りして置く。

(4)

我が国に於いても技術者出身の傑士は必ずしも少くなく、仙台鉄相の如き團琢磨氏の如きよくその実例を示していると思う。しかも尚我が国に於ける技術者の地位が稍もすれば軽視せられ勝ちなるはその原因の過半、全人的教養の欠陥に負へること私の先に指摘したるが如くである。勿論そこには法科の万能の旧弊はある。一般世人の技術者に対する伝道的の誤解はある。が之等に対しては、或は分官任用令の改正及び高等技術官特別任用令の提唱等があり、社会の進歩と技術者自身の向上とは一般世人の伝道的誤解をもまた一掃するや必然の道理である、

技術者を以て社会の下積の如くに考え土台石の如くに思意して自ら満足し或は悲観するのは大なる誤りである、己尊ばずして他人の尊敬を得よう、固より尊大はよろしくない、あくまで謙虚でいるべきである。けれども卑屈は遂に退嬰と相通ずることを知らなければならない。

5年程前科学と文学といふ雑誌に「技術者の条件」と題して米国某博士の研究諭文が載せられてあった。社会学上、経済学上から見た技術者の価値と地位を巨細に論じ最後に技術者たることを許さる可き人間として最も尊貴なる天分と、公平の立場より見た技術者の真価とを詳説して論を結んであった。私は今手元にその雑誌を有していないので、その長い論文の中の適切な語句をここに引例し得ないのを残念に思うが、それは徹頭徹尾技術者の尊貴を裏書きするものであったのである。

たとえ文官任用令が改正され高等技術官特別任用令が実行されても、技術者自身己れの尊貴をさとりて向上に努めないならば書龍晴を点ぜざるものとなるであらう。

(5)

滔々として動きゆく偉大なる時流の力に対しては、すべでの因襲、すべての伝統、一としてそり権威を失墜せざるはなく、辛じて命脈を保つは皆劇しい時流の洗礼によってよみがえれるもののみである。

この近代思潮の二大根底、自由と平等とこそは文芸復興以降に於けるあらゆる開放運動、社会運動の原動力をなしたる如く、現代に於ける種々なる改革運動の気運とその促進とを将来し、わが学園にも幾多の波動を経て且興へつつあるのである。

例えば多年の懸案たりし実業学校卒業生の差別撤廃の実現、即ち

1 実業学校卒業生をて宜業学校卒業生を中学校卒業生と同様一般専門学校、高等学校入学及び普通文官検定に対し同一待遇を与える件。

2 一般専門学校卒業生に対し高等文官試験に関し、大学及び高等学校卒業生と共に予備試験を免除するの件如きはこうした時流のささたる表はれの片鱗に過ぎないのである。単に我が学園のみについてその推移を形式的方面より覗ふならぱ、

一、ゲートルを付けずして登校するも差支へなきこと。

一、音楽を正科として課すること。

一、武道を正科として:課すること。

一、授業時間の短縮。

一、各種対抗試合を許可し且奨励すること。

この外数えあげればまだ数項を挙げることが出来るであろう。

以上のような傾向は独り我が学園のみのものではないようであるが、その変化の程度は我が学園に於いて甚だしく大なるを見るのである。これ等のことは私が先に指摘した神工気質工の欠陥をかなりに補いつつあると共に一方に於いてはその長所を失いつつあるように見らるることもあるのである。

(6)

善い先輩卒業生の方々の中にはよくいろいろな忠告を私等に送られる。その中には一々具体的の事実を指摘して、痛烈骨を刺す愛校の言を叫んだものもあり、時代の弊に陥りつつあるを歎いたものもある。

勿諭、種々なる意味に於ける賞賛の辞も亦数多いのであるが私は茲にはわざとそれ等忠告の苦言をのみ揚げることにする。

一、真剣味がなくなった。

一、その態度その言語に於いて不真面目である。

一、労働を厭う風がより多く生じつつある。

一、現在の学校を単に上級学校に進む一の予備校の如くに思うものが多いやうだ。

之等の言は何れも先輩卒業生等が在学されていた時分と今とを比較されての言である。自分は幸か不幸かあまり古い時代のことを知らないので現在とその時分の状態とを厳正に比較批評することは出来ないが、私一個を以て云はしむれば、必ずしもその全部を肯定はしないのである。仮にその全部を肯定したとしてもそのことを必ずしも悪いことであろとは断定しないのである。

初期に於ける神工学人の年齢は一段に高く且創始時代に於ける当然の真剣さは現在より余程強いものであったろうとは相像される、けれども創始時代の心持を何時までも持続せしめやうとするのは難きを人に求むるものである、且それは必ずしも賢明なる方針ではないやうに私には思はれる。不真面目なるもののことは最早論じたくはない。

古往今来、石川や浜の真砂の共に尽せぬ盗賊と同じように、少数の不良分子は容易に絶えない。固よりそうした分子の発生に関しては、教育者の無力、社会制度の欠陥等も一因をなしているであらうが。次の労働を厭う云々の項は私は否定する最後のことは、見ようによっては喜ぶべきことである。なるべく多くの人がなるべく高い数育を受けることは望ましい状態であるからだ。

工業学校どしての存立の特殊性を浸さない範囲に於いて勉強してくれるなら医者が出やうと軍人が出やうと宗教家が出ようと少しも差支へはないのである。と私は思う。ただ、学校の本質上技術者、工業者校のたらんとする人が学ぶに便宜多くまたそうした人々がより多く集っておるに過ぎないのである。

(7)

私は最後に神工同人の用意と覚悟とを述べてこの稿を終わりたい。

先ず在学生のみについて云ふならば、数学、英語、地理、歴史、物理、化学、国語。漢文その他一般の普通学に対し能うだけの努カを払うべきであろうと思う。之等は直接職業的には役立たなく共、所謂紳士としての教養を形づくるものであり、功利的に云うも後来大きく伸びる糧となるべきものである。実習及び専門学に時間を割かれる関係上兎角普通学が不十分となり勝なるはよく心すべきであらうと思う。

一般的にいうならば

一、高い理想に向かって普段の向上をはかり小成に安んぜざること。

二、偏狭に陥り易いことを自覚しよく全人的教養を全からしむる自己教養を怠らないこと。

三、美的情操を養うべき何等かの趣味を己が生活と同化せしむると共に、質朴剛健、勤倹質素の我が長所を益々助長せしむこと。

要するに神工気質の欠陥の如きは少しの心掛けで、必すや矯正し得るものたることを私は信じる。かくて我が長所に加うろにその欠点を補正し得たるならばただに吾が神工同人の偉大なる発展と雄飛とを促すばかりでなく、一般技術家の向上を来すや必せりである。同人諸君の自重と努力とを祈る。

(完)

第3号 大正14年8月1日

第4号 大正14年9月1日

第5号 大正14年10月1日

第12号(創刊1周年) 大正15年5月15日

1周年記念号 発刊の辞

ほんの小さい生命でも。それが全く新しい一の生命として出現するためには、多くの苦痛、努力、犠牲の払われるのが常である。更に出現の意義をつらぬいて、この小さい生命の成長を図るためにはより多くの忍耐と努力が必要でなければならない。

時報は全く新しい一の生命であった。大正14年6月、この小さい生命が出現するまでに、かなり多くの苦痛と、努力と、犠牲とが強要されたことはいうまでもない。たとえ母校神工学園は健全であっても、生れ出ずる迄の苦労は並大抵ではなく、生れ出でたか弱い嬰児を守り育てて、一人前に仕立で上るのは、更に更に大きな仕事であるに違いなかった。そしてそこに喜びもあれば楽しみもあり、期待も希望もあったのだ。

過去1ケ年、時報の歩んだ路はあまりに短く、そしてあまりに順調であった。小さい生命を慈しむ多くの温手の中に矗々(ちくちく)と延びて行ったのである。然し珍しいものに対する感銘と、かよわいものに対する憐れみとが、漸く失われんとしつつある、何もかもこれからの仕事であらう。然し珍しいものに対する感銘と、かよわいものに対する憐れみとが、漸(ようや)く失われんとしつつある。何もかもこらからの仕事であろう。然し乍ら、生るべくして生れた生命なら、打捨すておいでも立派に養はれてゆくに違いない。生るべからずして強いて生れ出た生命なら、あらん限りの手を尽しても、やがて滅びゆく生命であらう。もしこの理法にして誤またずとすれば、時報は愈々(いよいよ)ますます発展してゆく生命を持っているのである。何故ならば、そは生れるべくして生れ出で育りべくして育ちなおこれを一意専心守り育てんとする、無数の力強い援助があるからである。永い年月の間には、その形式や、見た眼の内容は変るかも知れない。然し、生るべくして生れ出でたものの生命は、母校神工学園の永久の繁栄と共に、永久の生命を保ち、ますます母校の繁栄を象徴して尽きないであろう。

最近の雑感 会長 秋山 岩吉

古い言葉ではあるが、実際光陰は矢の如しだ。月間神工時報の問題が起って、継続的に実行が出きるや否や気遣いつつ発刊してから、満1ケ年を迎えた。専ら佐藤幹事が編集の方を担当して、毎月決まった時期に印刷出きる様に運ぶには、かなり頭を使っている様だ。また出きあがったものを、約千人近い会員に毎月発送するには、大江幹事を初め隨分悩まされている。その他会員の移動調べや、会費徴収の事やらに、高橋、坂間、石崎各幹事等が分担して骨を折っている。我輩は時折これ等諸君が放課後まで居残りして、同窓会の事務を執っているのを見るとき、何とも言はれない感じが胸の奥から湧き出てくる。会員の多数には、恐らくこの苦心の実況は分るまい。随分無理解の不平を並べる人もいる様に聞くが、実際を知っている者から見れば如何にも気の毒である。それに付けても世の中には隠れたる努力家の如何に多数あるかがつくづく思われる。

過去1ケ年の間に死亡した会員が、10名程ある。殊に第1期の若林君、石塚君、小川君が相ついで逝ったのである。何れも前途に大なる望な持ち然かも着々奏効しつついたのに、何たる痛ましいことであろうか。老少不定生者必滅とはいいながら、真に人生の無常迅速を感じる。

本年の新入会員87名は、母校5ケ年制第1回の卒業生である。大正8、9年頃から、修業年限延長問題を持出して、やっとと当局の容(いれ)るところとなり、大正10年に初めて播いた種が、ここに実を結んだのである。学校は予備校的ではないから、その方に対しては何等便宜を与えていないが、それでも、本校卒業後、直ちに上級学校に入学出来た者が10名余りあった。その他就職希望のものは、時節柄にも拘らず、全部片付いた。これも先輩諸君の奮闘振りと援助が余程与えて力があったものと感じている。

本年の入学志願者は、募集入員120名に対して520名余りであった。これを中学方面に比較すれば非常の相違であった。以前はただ無茶苦茶に中学の門に向って蝟集したものだが、今日は一般的にようやく目覚めてきた感じがする。ただ気の毒な事には小学校の成績が首席または2、3番位のところで入学出きなかったのがかなりあった。それも決して出来が悪いのではない、これを見ても単に応募者数が増えたばかりでなく、その質も非常に良くなったことが分る。

母校本館は彼の震災の為大破損を受け、応急修繕によってともかく今日まできたがいよいよ改築工事が始まるので、4月23日より取り壊しにかかった。ああ4月23日創立以来15年間住み馴れたあの鰻の様に長い校舎が無心の職人の手によって見る間に段々浅ましい姿に変わって行くのである。建設の昔は憂々として威勢よく快感を覚るが、破壊の音、殊に釘の抜ける音は一種の哀調を帯びて、頭の心まで響く。在学中せっせと掃除していつも、奇麗にした諸君もこの光景を見たら恐らく感慨無量であろう。

辛抱力の単位 仙波 昇作

全ての人通じて辛抱の出来得る範囲或は程度がほぼ一定している様に思はれます。種々な話を緊張して聴取し得る時間が約30分内外、仕事に従事して働き得る時間が(その仕事の種類によって異りましょうが)約2時間内外と見てよかろう、読書に耽るにも書物の種類によっていろいろでしょうが2時間位、学生が気の向いた時に自習を連続し得る時間がどんなにながく見積っても2時間位でしょう。

それらの倦怠疲労は生理的にくる必然の現象で全人類を通じて同様に見られるのであります、しかしこの生理的に起る中にも気の持ち様によってはその現象が多少は変わるものであります、例えばある仕事に従事して生理的には疲労がきたにしても今少し息を入れ自らを励まして行いまた元気づいてその仕事を持続する事が出来るものであります。

世界は一つの大きな競争場であります、人々はお互いに日々競争をしているもので社会は社会と、民族は民族とその優劣を争い国家は国家と競争しています。それ等の競争になくてならぬものは種々ありましょうが、自己の有する辛抱力があずかって大なる勢力を有す事を忘れてはいけません。故に吾人が仕事に看手する前には(学生にありては学問を勉強する仕事)先ず自ら有する辛抱力の大さを計り、また同時に他の人達のこれに対する経験を参考として、それより僅かにても余分に自己の辛抱力の単位を定めその仕事にかかったならば、よしんば1日の差が即ち延びが僅少であってもながい間には大なる差を生じて絶大の勢力となり立派にその仕事が出来る事と思う、太い縄で一周り結ぶよりも細い繩で幾重にも結ぶ方が遥かに有効となり、また太い釘1本で留めるよりも同量の細い2、3本の釘で打ちつけた方がよく緊結し得るのである、であるから一時に辛抱力を大きくして短兵急に仕事に当るよりも単位を少しづつ大きくしながく従事する事が有終の善を得るにききめがある様に思う。

遠隔の地にある会員諸君ヘ 高橋 暢

「遠く離れて奮闘せられる諸君!」こう呼びかけるともう一昔となった南国長崎に真黒になってハンマーを振っていた頃の私の姿を心を思い浮かべずにはいられません。

あの頃はよく働いた。一人も知り人のなかった私はただ働くより他に方法がなかったのです。心淋しい私でも日中濠々たる機械の中に立っては仕事そのものに追われて何一つ思う暇とてもありませんでしたが、12時頃迄の夜業を終えて疲れた身体をサンバンに乗せて油の様に静かな港内を家路につく時ばかりは、流石に孤独の淋しい自分の姿がしみじみいとほしいと思われました。

広くもないこの港を園で黙々たる山々を2つ3つと錨を下した商戦も、夜のしじまにひっそりかえって、どの船からか時折うち出される時報の哀鐘がかんかんと夜露を含んだ空の中へ消えてゆく。ピシャリピシャリと小波を分けてゆく私の舟に夜光虫と青い月のみがキラキラと輝くばかり。私もいわねば船頭も歌わず、空も山も水もひしひしと身に迫ってくる。この時ほど故郷を横浜を友を思った事はなかった。

「帰りたいなあ」とどんなにか考えたことだったろう。旅に出てやがて一年、山よ町よ母校よ。ああどんなに変わった事だろう?……

こうした心持はきっと諸君の内の誰かも抱いていられる事でしょう。そうした思い出に私は母校とその周囲ついてお知らせするつもりで筆を起こしてみないのです。

忘れもしないあの大地震で一たまりもなく、諸君の横浜は焦士と化し、こうして早や3年間を過ごしてきたものの元の横浜になるのは15年末のことだ、いやいや20年だと生残った浴衣一枚のお互いが手を取り合って除燈の中に泣いた日からこの3年、復興復興復興するとも前にも増した横浜を土台から仕上げて見せると狂うばかりにして奮い立った市民の熱の力は実に大きなものでした。

焼亜鉛のバラックが間もなく木建築水嫡築に代り人の数賑やかさの程度はもうほとんど昔に変わらぬほどになりましたもの。復興は先ず橋からと云って立派な橋の出来ること出来ること。それと同時に学校の復興が大したものです。鉄筋コンクリートの大建築が続々と竣工されて行きます。

市区改正の結果、思わぬところに大道路が開け、電車が走る様子です。御存知の鉄道橋から二手に分れ、一つは東神奈川駅裏より左に折れで六角橋ヘ、一つは軽井沢へ出て浅間神社付近まで、市内電車も延長されるとか。それはもう間もないことのように聞いています。それがため本覚寺側のsの片側がすっかり切り広げられるとかいう話。

鉄道では電気機関車も漸く一人歩きが出来るようになり、横須賀行きの異様な姿は路行く人々の足を止めます。一方、2、3年前から懸案の東京横浜電鉄もとうとう去る2に開通式を挙げ神奈川を起点とし高島山を隧道で抜け、反町、新太田町、白楽、菊名、綱島温泉などなど、マラソンでも走りなれたあのコースに並行して目黒まで高速度の電車が学校の直裏を走るのです。母校もついに改築の運びとなりました。お互いに磨いて磨いて磨きぬいた、あの長い廊下の本館が一日一日と屋根が剥がれ、床がめくられて変わり果てた姿になってゆきます。その残骸に降り注ぐ小雨の音を聞いていると知らずに胸がこみあげてくる哀愁を覚えさせられます。

工場の隅で鳥ロを引いたり、標本室から英語が洩れたり仮教室の何とない忙しさに落ちつかぬ日を送っている。しかしこれもこの夏を過ごせば、やがて新秋の青空高く2階建ての楚楚たる本館が竣工されるはずです。

隣の町、接村は近く市に編入、大横浜建設の由。何としても目に廻る様な活動振です。運動場立って周囲をの眺むれば見慣れたはずの瞳にも今更の驚異を感ぜずにはいられません。ここ1、2年の郊外発展は実に筆舌のほかです。丘と言わず田といわず、ぎっしり住宅が建ち並んで、二ッ谷の項番も転じて母校の門衛然とコンクリート建てで厳然とおさまったのも勢いの然らしむるところでしょう。

(以下次号)

祝詞 関根庄太郎

ここに謹んで神工時報一周年記念号の刊行をお喜び申し上げます。わが時報は兄等ご承知の通り昨年6月に創刊され、ここに1周年を迎えたのであります。そしで恙(つつが)なく記念号発刊の運びに至り、今後も無窮の進歩発達を告げる現状にあることは真に慶賀すべきことで、これには一に関係者諸兄の努力の賜であると信じます。

学校同窓会の一部の事業として、これだけの雑誌を月刊で出してゆくということは他で想像するような容易なものではありません。がそう大した暗流障害もなく、ここまで漕ぎ着けてこられたのは、諸兄の協力精神の発露による結果ではないでしょうか。投稿者も編集者も発送に関わる、時報紙上において満一歳となり、根底が築かれたのです。やがて時報紙の尊い経験は、やがて時報紙の充実発展に唯一寄与するところのものになると思います。

記念号刊行に際し、掛りの方から「何か書け」とのお言葉を頂きましたが、筆不精であるばかりでなく、平常時報には縁がなく、時折発送のお手伝いをする位の者ですから、別に申し上げることもなくて甚だ失礼。以上、神工時報一周年記念祝詞の一言を賀せる所以であるます。(5月3日、於事務室)

よしなしごと 編集子

一周年記念号であってみれば、編集者として何か一言なかるばからざるわけであるが、さて筆を取ってみると、兎に手前味噌が出たがったり、ひとりよがりの与太が飛び出したりして、思うに任せぬ筆の運び、ただ「よりなしごと」という題の下に、よしなき繰り言の少々を、述べさせて貰うことにする。

「他人様、の出来ることならば、自分にだって出来ないことはないであろう」これが編集いうかなり小面倒らしい仕事を引き受けた時の私の考え。そして、「もし出来なかったら早速逃げ出してしますこと」これがその次に出た考え。勿論、千の悪意も万野非難も覚悟の上の仕事である。櫓の操り方も知らなければ、舵の取りようも心得ぬ船頭が、1500の船客を満載した、小山の如き大船の水先案内として、大海に乗り出した。大様とか無謀とかいう形容詞はこの場合はまらない。少し奇狂な言葉だが、きちがい仕事というのが一番適当しているようだ。引き受けた私も図々しいには違いないが、やらせるほうも随分思い切ったものだ。

初めて時報が世に出たのは、対象14年6月だ。内容も外観もお世話にならない程貧弱なもの、2月、3月と経つ中に、だんだんと上手になり早くもなって、どうやらこうやら今日まで押し廻してきた。宛然貧乏世帯のわりくりだ。その間、「愛すればこそ」のお小言も幾度か頂戴した。

活字の誤植や仮名使いの誤りを発見して、偉丈高に非難の罵詈を浴びせてくれたひともある。無音の冷笑や嘲笑いを送ってくれた人もあるかもしれない。編集者自身でさえ、不満だらけな出来栄えなのだから、第三者としては、堪らなく不甲斐なく思われるのが寧ろ当然であろう。

この時報をみて。「工業も近頃仲仲明けてきたね」ともいってくれた。「毎月毎月の編集は大変ではありませんね」と同情してくれた。「時報がくるのが待ち遠しい」と嬉しい督促もしてくれた。それからまた、掲載した記事に対して、劇しい反感や批評をも寄せられた。さらに発送や会員名簿の誤謬まで、その非難を私のところへ持ってきた。私はこれらの応接に微笑したり、苦笑したり、そうかと励ませられたり、嫌になったりして、兎に角無事に、――ただ無事にほんの命がつながってきたという程度の――今日まで時報のお守りをしてきたのである。そしてそれ以外には何もしていない。

私は今、如何にしたら最も能率よく、最も立派の編集ができるかを考えている。そしてまた恒久性誇るべき本紙の性質上、現在のような編集方法は、早晩何とか改良せねばならないものと信じている。一片の辞令によって左右さるべき一個の人間、そうではなく兎も角変化の多い、たった一個の人間を基礎としての編集はあやうい。それに個人の能力からいっても、私は決してその器ではなかった。

愚痴やら、泣き言やら、与太やら、全くよしもないことを並べ立ててしまったが。要するに私は同人諸君のご期待に背いて、貴重な編集を浪費した罪を深くお詫びしたい。でせめて、「ぜひ時報の編集をやってみたい」という篤志家か、多くの人の観て以て適任とする人材を得るまで、自ら駑馬(どば)に鞭打ってその任だけは果たしたいと思う。幸い諸君の御同情ご鞭撻を祈る。

(大正15年5月3日)