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<注> 原稿は旧字と旧かなづかいで書かれていますが、旧字だけは新字に変換し、かなづかいはそのままにしています。

投げれらた石  正会員 原田友二

世の中の総ては、原因が有れば結果が有る、言換へれば結果といふ物は原因が無くては生じない。之は自然の法則だ。しかしてその結果も原因が一つだから必ず一つで有ると云ふ事は絶対に無い。丁度池の真中にぽつんと石を投げて其れによつて波紋が其点を中心として四方に広がると同様に、一つの原因によりて、広い方面に渡つて数多くの結果が生じ、その結果が又原因となつて結果を生ずる様に結果が二重にも、三重にも、結果を生むのである。

其池の真中に投げた石を今度の大震災として、四方に広がつた波に就て考へて見よう。其波紋の大小は投げた石の大小によつて定まる様に、今度の大震災が余り大で有つた為其池を世界に例へるならば池の隅々まで及ぼすのである。しかして池の隅に有る世界各国に及ぼした結果は石の落ちた所から遠いので、震災による結果に生じた同情と云ふ結果や、同情が原因となつての結果である。同情と云つても、あの排日の盛んな米国すら、昨日の敵は今日の友、集まる救護品山をなし、其外日貨排斥の支那も、軍国主義視して居たヨーロツパの各国も非常に同情厚く日本同胞、恩泣の涙のつきぬ所である。この大きな同情といふ結果も震災地に及ぼした結果にくらべれば微かたるものであると云ふ程、石の落ちた付近の波紋は甚だしかつたのである。

自然の神が此の石を投じたのは所もあらう日本の首府なる東京及び東洋の貿易港たる横浜の付近。時は9月1日午前11時58分。平和の水面は忽(たちまち)に乱れ家は潰され人は圧殺された。その上悪魔の焔は210日の風に煽られて思ふ存分焼き払つたのである。数10万の人命と東京の半分横浜の大部の家屋とそして百数拾億円の財産は波瀾が生じたと同時にこの世から去つて水底に沈んだのであつた。其ればかりでは無い。再度得甦き史料や芸術品や貴い国宝も二度と我等の見る事が出来なくなつたのである。

唯残るものは焼瓦と灰とそして白骨のみである。其の外、全潰半潰によつて受けた損害も亦多大のもので有るだらう。あゝ自然の神は何故日本にこの大石を投ずる事を好まれたか。しかし自然の神が日本に投石する事を好まれるといふ事を知りながら、それに対して耐震的建築をなさざるのは日本国民の落度。もつと耐震的建築物であり又、防火設備が完全になつて居たならばより以上の大きな石を投ぜられても、其の損害は僅少な事で済んだであらう。

この多くの損害を受けた結果により其の防御法が行はれるのは当然である。その防御法は之を機会として行はれ都市計画の上にも表はれて居るのである。我々はもつともつと大規模な、そして完全な都市計画をなし大東京大横浜の出来上らん事を希望するのである。以上は有形の損害に対する結果であるが無形の損害の国家的大なるものは日鮮間の親和を害したことである。 

石が投ぜられ、はげしい動揺の波間に浮ぶ人心の其時一部の不逞鮮人が機会は来れりとばかりに放火して廻つたり邦人を殺たしりした。その結果人心の荒び殺気立ち挑戦的気分は善良なる鮮人までも殺す事にまでなつてしまつた。元は鮮人が悪い。しかし善良なる鮮人をやたらに殺したのは日本人が悪いんだ。それが生じた結果は無形の損害となつて表はれ、何程日鮮の親和を傷つけたであらうか。彼等の独立心を何如に増長させたであらうか。大分波も静まつた今では可愛想な事をした悪い事をしたと思つているのであらうけれども鮮人等の怨恨は幾時までも彼等の心に残るだらう。

鮮人ばかりでは無い。鮮人と間違へられて支那人を殺した。その結果、外交問題を引起すなど投げた石から生じた波紋はいろんな方面に広がつて行くものだ。又甘粕大尉が大杉栄を殺した事も、廿粕は国士?なりとて減刑運動が在郷軍人によつて生じたのも投じだ石が原因となつて居るのだ。其外いかに経済界に大なる結果を生ぜしめた事であらう。又この機会に一儲(もうけ)と紀之国文左衛門を夢みて暴利をむさぼる商人が出来る。それで成金も出来た事であらう。それにつれて暴利取締令が出る。それに触れて罰金を収られる商人が出来る。それでも暴利商人が跋扈するので公設市場が始まつて廉売をやる。一つの結果が面白い様に次々と他の結果を生む。結果の終極は何処に有るやらわからない。

今度は投ぜられた石の人体に及ぼした方面を考へて見よう。今度の震災にこの様に数多の死者を生ぜしめたのも一つは体育が貧弱であつたからである云ふ。もつと体育といふ方面に重きを置かねばならね。ことに婦人に於て然りである。又震災後に生れた人間には不具が多いとか。これも体育のしつかりした母親の腹の中に居たならば不具も少なかつたであらうと思ふ。其外、不衛生的なバラック内で水道も無く防塞設備の不完全な所で生活している為に病気におそはれる者が多く死亡率高いとか。あゝ、投げらた石から生ずる波絞は何処迄人間を苦しめるのやら。我々はこの石を恨まうか。それとも石を投けた自然を呪はうか。あゝ無情の世の中だ。此の世に楽しむべき事は無い。

数万の家財も一朝にして、浴衣一貫となり、楽しき平和の一家も一夕にして涙のつきせぬ孤独の身となつたのである。あゝ、これから如何にして此世に処して行かう。震災後求道者が目立つて増加し、宗教的書籍に羽が生えて売れると云ふのも成程とうなづかれる。そうかと思ふと半面には殺人罪や其外の犯罪が非常に増加してきたとか。波紋はどんな方面にら容赦無く広がるものだ。其外総ての実業界や教育界にも損失となり利益となつて結果を及ぼしたことであらう。

しかし今度は之が経験となつて再度自然の神が平和の水面に投石しても、其の広がる広さは今度の様に大きな事はないだらう。我々は「地震の日本」国民だ。再度石が投ぜられてもおだやかにその波を漕ぎぬかねばならぬ。それには何時石が投ぜられてち良い様な設備をしなくてはならぬ。その設備の完全な大東京大横浜は正に生れんと計画されて居る。それを実現するは誰か言ふまでも無い第二の大東京大横浜の市民たる若き我々であるのである。

くるへる 正会員 堂畑辰蔵 

漸やく辿り着いた山路の小高き土手、家屋も遠き山の中、此所ならば火も来まい、つれだてるもの皆そろつてくたびれた足を投げ出して息をついた。顔を上げれば今まで背にして来た彼方は最早一面に煙はうづを巻いている。何か爆発でもしたらしい。やがて底力のある大きな音が響き渡つて来る。其の音のしたらしい方には、入道雲の様な煙が日をうけて銀色に光つている。其がもくもくと見るみる天高くわき昇る。もうすぐ其の下には毒蛇の舌の様な焔が見えかくれしている。火はそれへとなめて行く。

あゝ最早横浜は全部部火の海と化してしまつた。今だ大地はたへずゆれる。其の度にころがり落とされまいと木にすがる。我等はたぎりたる湯釜のふたの上に居る様な心持だ。えんえんと立昇る黒白の煙は中程を風につかれてしまつた。あゝおれの家ももへるのか、願はくは家のものよ無事でにげてくれ、おれ等は比の一面の火を見までは、ただ我家の潰れざらんことを願ひ、もし潰れたりもせよ、其の中に家族の無事に居らんことを願つていた。而(しこう)し今は又よせ行く火よりけがもなくのがれんことを祈らなければならない。逃げ延びて来る人々は後から後からと向山の道を通る。まだ大地はゆれる。おれ等は之等の景色を目に映ずるにまかせ、耳にきこゆるにまかせ、一口も話さうともせず、ただぼんやりしているのみである。 

されど中食ぬきの腹は、地震も火事もなく音を立てゝさいそくをする。食物は一つもない。時をり水で満足させようと各々命の綱ともらつた、瓶をかたむける。時の音につれ其水も減つて来る。頭はぼんやりして来る。而しまだ生きて居る手を胸にあつれば、心臓の音は共の手にひびく。血はおれ等の身体をめぐつている。而し頭は親のことやら、兄弟のことやら、それに今の自分のことやらで混乱している。前後のかんかくも得られぬ程さわぎあつている。

肉体は生きてはいるが頭は死でいるも同様だ。日はかたむく、腹はすくすく、今は食ふに物もなく、寝るに家もない。そして、あゝやつて火がなめた跡は、食ものも着るものもことごとく煙となつてしまつて、ただ焼土ばかりになるのだ。困るのはおれ等ばかりではない。45万の市民は皆なおれ等と同様だ。東京とも思われる方にも煙の柱が見え出した。又横須賀の方にも見え出した。 

あゝこの地震は横浜ばかりではないのだらう。この火事は此所ばかりではない。東京も横須賀もいやいや日本国中かもしれない。あゝそうある時は今後どうなるだらう。電信も電話も通じない時だ。自動車も走れない時だ。このありさまを誰がすくいに来てくれよう。2、3日なら草の根木の皮でもかぢつて生ていられようが、おれ等は此所まで地震にまぬかれ、火にのがれて来たのに、あゝおれ等はいや生残つた市民は皆うえ死しなければならない。おれ等は此所に死ななければならないのか。終におれ等の心は死におびやかされて、己れ一身の生にのみうばはれてしまつた。混乱の頭は煩悶の道へとまよつた地は又ゆれる。

地震は火事を生み産を潰し或ひは焼き肉を傷つけ或ひは生命をうばひ人心をおびやかす。而し地震におびえるものは人間ばかりではない。火事をおそれるものは人間ばかりではない。犬も猫も地震にまぬかた火事からのがれ様と人間のあとをついて来る。牛はうそぶき、馬はいななく。家畜と云ふ家蓄は皆おそれおののいている。あらゆる動物は今生んがためにうごめいている。

今は人間も犬猫同様だ。ただ己が命を保たんためのみに他を害しても之をまつとうし様としかへりみようとするものはない、人間万物の霊長と云へども生死の境には他のあらゆる動物と異なる所はない。人道も道徳もない。ここにおれ等は総べてのことを絶望的にあきらめてしまつた。そしておれ等は土手下に横たわつて血に悶へるひめい。

火を怖れるさけび親や兄弟等をうしなへるもののかなしみの声ごうごうの雑音是等の此の世での地獄から一時でも遠ざからうと目をついる。されどねむれるものではない。我耳にはかすかにも是等の地獄にさけぶ声がきこへる。今は夢であつてくれれ良いが何様ぞ夢であつてくれ。そして今度目を開ける時はさき程まで学校に居た様な、あの平穏な世であつてくれ。

電車の走る汽車の通ふ電信電話の通じる。されど現つつは現つつ夢とすることは出来ない。暫らくの間焔が見えない、頭はかすかに響き来る。雑音の中にもいくぶん落ちつきを得おぶつをとり去られた塵箱の様なはつきりしないものたらない気分になつて来た。時はしばらく立つた。そして不思議にも其の中に一つの美しい平和な楽の音と歌の声が響いて来る様に思はれる。而もその音はだんく大きく明らかになつて来る。真に聞こえるのだ。何の音だらう。

おれの身体は今まで地獄にもだへていたのだ。おれの心は今まで地獄の苦しさにさけんでいたのだ。それがきれぎれに聞へる楽の音にわずかの間に和らかい楽しい神の国へ来た様に思はれる。目を開いた而し其の音はまた聞える。おれは、考へながら目を見はつた。もちろん其所には楽を奏する雄神も歌を歌ふ女神もいない。天国ではない。

目に映ずるものはやつぱり渦を巻いて昇るいる煙だ。どうしで此の中に美しい楽の音があらう。おれの心は其の楽の音にすい込まれた。やがて楽の音はやんだ。そしておれのぽんやりした顔の前に、一疋のこうろぎが飛び出した。おゝそうだ。是だ先から奏していた音楽の主は。このこうろぎだ。後を振りかへると何時来たのか後の土手の木に小鳥が一羽しきりに歌を歌つている。おゝこれこれ歌の女神はこの小鳥だ。

おゝ幸福なものよ。さきにおれの聞いた平和な楽の音は草の根にいるこうろぎの声であつた。又楽しい歌ときいたのは小鳥の声であつた。あゝなんと幸福なるものよ。彼等には人間の哀れさを知らず苦しみもなく惨醒も持つていないのだろう。そいして楽しく歌ひかきならしている。人間はなぜ彼等の様な楽しい愉快な心を持つていないるのだらう。今おれは彼等の境遇がうらやましい。なぜおれは小鳥に生れなかつたのだらう、なぜこうろぎに生れなかつたのだらう。

おれは人間として生れて来た。一体人間は勝手に万物の霊長だのときめてわけもなく、他の動物をいやしむ。而して2、3時間前まで万物の長としてほこつていた人間は、一度地が揺れたとか、火が家を焼いたとか云ふて、顔色を変へてふるへていた。そして地震がうらめしいの火事がうらめしいのと云つている。始めから木片で組立た家はゆれれば潰れるのにきまつている。

木材の家も綿で作つた着物も、総べて炭素をふくむ可燃性の物である。火にあへば灰になるのはきまつたことである。何れも当然来るきべきことに用意のなかつたことをらうらむべきではないか。人のきらふきたない塵の中にすむこうろぎは其のきたない中に楽のたのしみを持つている。人間の入らないさびしい山の中にいる鳥等は其のさびしい所に楽しい歌を持つている。そして今彼等は人間の持つている様な悲しさも惨酷さもなく元気であり愉快である。人間は総べて鳥に教へられ虫に習はなければならない。

人間は人智々々と云ふ文明でなければならぬと云ひ、汽車の電車だのを考へ出して自然が与えてくれた足を使はずだんだんと弱らして行く。又文化生活をせよ等といやに狭苦しい家を作り、之に住ひいくらでも生長し得る身を縮め弱らしている。そして人間は運動をせなければ身体が弱くなるの、長生が出来ないのと学者等は面倒くさいことを云ふている。人間は自然が作つたものである自然に生れたものである。されば我等は自然のままでに生活せなければならね。自然は人間を生んで人間の命を保たせんとして日光をめぐみ空気を与へ水を出しているのである。

今なほ我等人間は之等の思恵を受けつつあるのではないか。然るに今日の人間は人智を尊んで自然を尊ばず。自然が与ヘし美しき山も漸時崩して池をうめ田をつぶしで自然の慰安を破壊して行く。そうして人間は其の破壊の力をほこつている。今日の人間は文明文化を良とするが野蛮でも昔の様に穴ぐら生活の方が安全だと云ふた、外国の爺さんの言が今さら思ひ出される。昔の様に自然にしたがひ生活する所には今日の様に日に何十人と云ふ死者も何百人と云ふ傷者も出さない。其の死傷者の大部分は皆人間の尊ぶ文明がつくつた電車や汽車が足を切れ手を折り命をも奪ひ去つたのである。今日前にあるこの惨酷な地獄もそうだ。

人間は此の様な苦みもある傷をうけて初めて自然の尊さを知り文明文化の怖しさを知りそこに又此の文明文化をのろうのである。文明をほつた人間も一度び今日の地震には其の文化の家は潰れ己は共の下敷となつて死しあるひは傷つく今潰れずとも再度大地ゆるれば残りし家もことごとく潰れ。人間は皆死すかもしれぬ、おゝなんと怖しき文明よ文化よ、文明文化の力はびびたるものである。人智は弱きものにして自然に抵抗し得ないものである。

それでいて人間は自然をうらむ何十年何百年もかゝつて作つた文明の汽車も一度地がゆるれば走り得ず波立ば汽船もくつがへる。人の力は自然の足元にもよりつけない小さきものである。其の小さな人力即入智は自分即人間を傷つけ又自分の命を奪ふのである。

昨日傷負たものも今日死したるものも之皆所謂自殺である。人間の智力は刄である其光り輝く所目もくらひ美しさを設ふれども一度其動く所死傷者を出す有害なるものである。人間よ有害なる智力を頼る勿れ自然を尊ひあがめよ、自然のままに生活せよ、自然を尊び生活する所にはのいふべき文明も文化もない。社会主義も共産主義もない。ただ自然の与ふるままに暮し与ふるものを食ふ安全な所である、共所には戦争もなく勿論国亡もない平和会議等不必要な世界中平和で万物豊かである。そして常に楽しき音楽はあり愉快な所である。おれの頭は不思議にもそれからそれへと文明文化をのろひ出した。

現在もえつつある火事も自然が人間に与へた報いである、地震は文化住宅の文化生活とのと文化にのみはしれる人間への注意でありけいこくである。願はくは、自然よ何回も地をゆすつて文明によへる人間に注意を与えてくれ。人間の家は潰ぶれるものである、もえるものである。目覚よ人々よ、ふるへているものよ、泣いているものよ、鳥は笑つていた猫はなげいている。

人間は自分で自分を苦しめている、そうして其の自分で生んだ罪をうらんでいると人間万物の霊長と云へどわずかなことにおそれおののく。されど自然に生活する虫や小鳥は地震にも火事にもおそれず一日中之の心地よき秋の日を楽しき曲を奏しつつあるのだ。人々よ目覚よ。おれの絶望的な小さな頭は此の災害にあひ此の苦みを得て此所に虫と小鳥に自然の尊さを教へられた。

焼出され潰ふれたものよ、自然を無視するなかれ、そして吾人は総て其の友と潰家の跡に他を害せず自然に働け物をおそれず自然に食へ而して自然に暮らせ其所に平和は来り幸福はめぐまれるのである。而しおれは文明文化をことごとく破壊すべきものであるとは思はね。おれは破壊主義はもたぬ。おれは文化其の物より此を作つた人間が現在あまりに華美惰弱に流れ尊さ自然を無視し破壊したり其上自然をうらんだりする其の心をにくむのである。そして其の心を破壊しほろび行く現在人心を根本から改革し真に楽しき幸福な世界の来らんことを望むのである。 

今だ地はゆれる地はどんなにいかつているのだらう煙は柱をなして空に昇る火畑は波をなして進む。自然の欲した煙自然の報いた火をなんたる光景だらう、焔のなめ行く所ことごとく灰となる、而し物質燃るとも其は消滅したるにあらず。煙りとなり灰となり其の形を変ずるとも共の物質は世界の何処かに存しているのだおれ等は悲しむべきではない。そして之の火の跡をふんで其の変ぜる物質の在家を尋ねることを考へなければならね。而して之を得ることにつとめなけれぱならぬ。

震災が生んだ宜話「梨屋さんになつて」 正会員 本多春雄 

恐怖に襲れている幾日かが暮れて行つて灰塵の都を右往左往する人のあはただしさ………

それは私達の永世忘れる事の出来ない大正12年9月1日より4日日、数多の非難者の中に混つて痛ましい廃墟の中をさまよつている私の胸には閉鎖している会社ばかり頼りに出末ず何か働かなければならない境遇だつたのであります。虚栄も外聞もない其頃街頭に声張り上げて飛ぶ様に売れて行く梨屋さんを見て僕もやつて見ようと決心したのも今思へば自分ながら大胆だつたと思ます。9月5日白煙は此所かしこにうづくまつて居る時友人のT君と協同出資で私としては一大決心のもとにやる事になつたのです。

其翌朝早くも開通した京成電車に乗つて色々の空想にふけりながら千葉の市川へ買出しに行つたのです、私の全財産金5円を全部投げ出して梨の大籠一つと換へる事になりました。純朴の百性夫婦が『たんとを儲けなさいよ』その言葉はどんなに嬉しく聞へたのでせう。

単純な考で梨屋さんになつた僕はこの梨を水に悩む帝都へ今直に持つて行う、少なく共相当の利益を挙げてやらうと……痩せた体に力を一杯入れてかついだが、正六貫匁、肩になじみ悪ひ品物とてどうして楽々持つて行けるでせう、絵筆を持つ私の職業としてはあまりに無謀だつたのです、T君とても僕と同様籠をかついで行く姿は又滑稽で思はずフキ出す度に力は抜けて其の都度惜しげもなく路傍に抛り出される、梨のその美も痛ましく傷けられて行くのであつた、電車には乗せてくれない、かうして三里の道はどんなに苦しかつたのでせう。

炎天下に自分の職業の有難さをつくづく感じながら這う這う向島に着いた時には涙の出る程嬉しさを覚えたのでした。其日の午接2時頃人通劇しい向島堤の上に『社会奉仕、梨、ふかし芋大廉売』と小旗ひるがへる若人の一人こそ僕なのです、一山20銭として体裁も何もなく無造作に並べ片隅にT君が持つてきた芋は古葛籠の中に一杯積み上けられでいました。

道行く人々はこちらを見て『あの人達は新米だよ』と嘲る様に振りかへり行くはづかしさ売行きもあまり香しくなく私の期待は次第に裏切られて行きました、騒々しい比日も正に暮れんとする頃私にとつて尊い梨が見るく内に疵が黒くなりて行つて売物としてはあまり不体裁となつて行くのです、静かに考へれば向島へ持つて来る間何十回となく路上へ強く置いた其結果はかうした瑕物となつて了つた、私は深い思ひに沈んだのであります。

陰惨な夜が来ました、蝋燭の淡い火影の下で明日の販売法を考へてるT君と僕側に在る黒く変り行く梨を見て思はず顔を見合せるのみであります。

素人の悲しさ最初の目算は見事外れて利益は愚か3割位の損失を被つてここに私の梨屋さんは見事に失敗をしたのであります。然し私に今迄曾て味はなかつた苦しい経験と尊い修養を梨のお蔭で授かつたと思ふと寧ろ感謝しなけれげならないと思ひます。

図案家と梨屋さん其の間には大きな川が横はつています、舟無くして渡る時僕の様な失敗に終るでせう。……それを思ふと現在絵筆持つ自分の職業程私にとつて尊いものはないと痛切に成じるのであります。(完)

痛ましき十字架 正倉員 静夫

地震は人類の負べき永遠の痛ましき十字架である地に拠つて生きる吾々が地震によつて蒙つた災害は到底筆紙に書しかねる。けれども返らぬ繰言が何にならう。須(すべか)らく吾人は一切を過去の二字に葬りて勇しく未来の建設に努力すべきである。とは震災以来持ち続けた私の信念である。

然しながら共所は温かい血の流れている人の身の悲しさに親友渡邊君の死を知り目前に展開された荒涼莫たる焼野原に直面するときふと死兒(しじ)の齢を算するの愚に陥るのである。

   ○

私は今膚に焼け付く異様な秋の陽を浴びて工場の一角に立つている。思へば21歳の秋から今日まで様々な心を抱きながら此所で働いで来たのだ。赤錆の膚も露はに横はつているこの機械の修繕や改善に私の4年間の魂は打込まれていたのだ。最近の動力電化計画を最後に何枚の図面と幾冊の仕様書を作つたことだらう。1本のボールトの太さにも私の良心は常に働いていた程だのに………。一切は完成の欣びを前にして跡形もない。乱れ散る灰になつた紙片が哀愁をそそる。

陽は既に傾いて影法帥が長く乱れがちに地に落ちている、ぢつと自分の影に見入りながら敬虔な心に私は若き詩人渡邊哀朗君の死を悼むのである。

彼は元来芸術の人であつた。機械工学は決して得意な場面ではなかつた、それを知りながらも工場に立たればならぬ彼の胸には悲哀と煩悶があつた。万葉調の短歌に書きぬ詩想を迸(ほとば)せて僅かに憂をやつていた彼の生活は涙ぐましい人間苦そのものであつた。かうした憂愁に近い彼の生活は夫人によつて一道の光明を与へられて来たのである。

あさまだき蓮あまた咲く池の辺を

歩めば妻はすがしと言へ  哀朗

彼の死を知つて根岸なる実家に夫人を訪れた私は門扉に渡邊仙之助立退所とあるのを見て一度は胸を踊らしたがそれも束の間、此世に残された彼の形骸は白布に包まれた壷に敗められて其前には香煙が縷々と立ち上つていた。

煉瓦建の家に包まれながら地辺に生きて火に死するとは彼も亦薄倖の人であつた、幽明境を異にして再び見ゆべくもない今となつては唯心静かに彼の霊に向つて黙祷するのみである。

   ○

地の揺れ動くこと僅かに五寸しかも吾々の砦営みの総ては破壊された。今更に自然の偉大さに驚き且は人間のあまりに小さなことを嘆きたくもなる。かうしたことから人生に就ての考へ方も変り永遠の計を棄てゝ唯刹那にのみ生さることに焦るやうになる。又折角積み上けた年来の信仰を其財産と共に失つた人もあらう。さなくとも生活の荒廃から来る影響は喜ぶべきものではない、要するに吾々の精神生活は其物質生活と共に破壊され又はされんとしている。

加之来るべき生活難を始め一切の困難を想ふとき一層其感を深くするのである。吾々は生きんがために信仰に於ても主義に於ても新な力あるものを求めねばならない。吾々は今赤裸な自己の姿をまざまざと見ることが出来る。その自己に潜む偉大な力の発見に努力せねばならない。此意味に於て私はこの秋を神霊の秋武錬の秋と謳歌したいのである。

    ○

再興の斧は丁々と鳴つている。 

震災によつてあらゆる方面に現実を暴露し幻滅の悲哀を味つた吾々は具さに前車の轍暴露された現実を研究精査して精神物質の両界に於で更新された社会に日頃抱いて来たユートピアを具体化すべくあらんかぎりの力を発揮せねばならぬ。これこそ若き人々の上に与へられた使命であり祝福である。私はこの意味に於て試錬の秋を高らかに讃美して拙ない筆を置く。

       1923、11,1、一稿

日記からの一節 正会員 小瀧 悦

会牡にとまつた私は朝雨を窓からながめながら気持のよい朝のしめつた空気を吸つていました。辨天通りの大きな建物がはげしい雨の中に静かに立つて都の朝はただやすらかさでした。

下におりて新聞を読んで居ると会計課のEさんや機械部のHさんなぞが出勤して来ました。私も新聞を読むのをやめて事務につきました。Hさんからたのまれたメタル(ベーヤリングのこと)の円を引きはじめたのでした。美しい日の光が雲の間からぬれた家根にキツスしてそろそろと晴れて行く空に反映するかのやうに光つて居ました。

「おい、あしたの日曜は素敵だね、誰だ…あしたの日直は…ま、あゝHかプアーだね」とEが叫んだ、相変ず元気なKは

「どうだい今度の内閣は」

と言つてペンをおいてあたりを見渡しました。

其のときはもう空はすつかり晴れ切つて限なく澄んだ秋晴の空には真綿の様なま白い雲が一片二片浮んで秋の最初の日を祝福するやうでした。

「うん……Gか―チェツ…あんなごまかし野郎に何が出来る」

Sがさもいまいましさうに云つた。

「軍艦の尻なんかかぢつてよ…。それからIのおいぼれもそうだ、死恥をさらしに大臣になんかになつたんだ。要するにこんな者達のあつまりだからどうせろくなことは出来ないだらう……」

社の誰彼がみんなそれぞれ別な考へで事務につきファンの音が我者顔に軽い音響で回転していました。すべてが平和な美しいこの世を讃美しているやうでした。何とはなしに軽快な舞踏曲のやうなリズムがいくつかの胸にときめいで種々な顔に一様な夢見る笑が浮んできました。

「おおもう12時だ!めしにしやう」とSが云つた声に美しい夢を破られたような顔をして一斉にと云いたい程同時に頭をもたげて時計を見ました。……俄然!凄い震動が起つた。

「上下動だ」と机につかまりながら叫んだSは脱兎の如く外に出て行きました。……

額は落ちる……戸棚は倒れる……床は波をうち壁からは土煙が振落されて目もあけられず、刻一刻震動が烈しくなつて来ました。向ふの瓦屋根の家が巨人に潰されたやうに道路の真中に倒れた。ひどい土煙……あたりは何もえへない、同時にめりめりと凄い音がしました。それは私が半年務めた社の建物の最後の息を引きとる叫声でした。

私が机の下にもぐり込んだ時はあたりは只くらくら只静けさでむせるやうな古壁の匂ひだけでした。私は私自身の生命に別状のなかつたことを知ると同時にあかるみに出ようと努力することに躊躇しませんでした。

私が金庫のそばへたどりついた時でした。EさんやMさんやYさんに逢ひました。其の時程力強く感じたありませんでした。やつと階段から届い光線を見出したにとき…SやKに引ぱり出された時……社の誰彼に徴傷者も出さないことを知つたとき……そのうれしさ……本当に手を取らんばかりによろこびました。

あたりを見渡したとき、これは又何と云ふ変り方でせう。濛々と舞ひ上る砂塵の中を人がぞろぞろかけて行くのでした。 子を背負ふ母、妻の手を引く夫、自然に対する人間の不可抗力の哀れさが赤裸々に現出されているのでした。 

私が公園地の前まで来たときもう恐しい黒煙があたりに渦を巻いでいました。鉄管からは水が流れ出て泥海にしていました。恐しい地割は各所横はつて避難する人々を呑まうとしていました。 家について無事な家族の顔を見た嬉しさ……母と妹を先に避難させてあとかたづけをして逃げたときはあたりは全部火の海……からだは焼ただれさうでした。

「おい……そつちはあぶない、こつちへ逃げろ…」 

と叫んでくれた男の人の声に力を得た父と私は火に追はれ煙にさへぎられながら中村町まで落ちのびました。

山に昇つて横浜全市を見下したとき誰の頭にも未練と焦操と誇きがごつちゃになつて渦を巻いていたに違ひありません。それ程破壊され焼き尽くされているのでした。そして横浜市民のすべてが同じ運命に翻弄されたのをせめての心頼みにして自分を自分でなぐさめあきらめさせていたにちがひありませんでした。

知合の家に行つたとき先へ来るはずの母と妹が来ていないので、避難者の集団場をさがしましたが見つかりませんでした。それで段々不安になりましたけれど明日は見つかるだらうと思つて知合の家にかへりました。

9月1日の太陽は私達の視界から段々と去つて行きました。何十万の人々の肉体に精神に大きな痛手を残して永遠に去つていきました。して魔の手のやうな濃い夜の闇がつかれ切つた私達の身辺におそうて来ました。快晴でしたけれど星も見へなければ月も見えない只赤く只黒く野宿するおぴえきつた避難民のささやきがうめくが様に地面を伝はつて来ました。死の頌歌が虫の鳴き声がしつきりなしにでも静かにおしつける様に聞えました。私のすぐぞばに避難していた20位の人は恐しい傷を受けて苦しがつていましたがととう死んでしまひました。

血だらけだつた着物の上に自分の単物を其の父らしい人がかけていました。何んと云ふ悲惨な有様でせう。そのすぐとなりのところでは2つか3つ位の赤んぼが百日ぜきで苦しさうなせきをしつきりなしにたてゝいるのを私達はどうすることもできませんでした。息もただえな悲痛な声が奥底までひびきました。それからすこしたつてからでした。私達は鮮人の流言を聞いたのは。眠らうと思いましたが眼がさえて眠れません。夜露はしつとりとシャツにしみて寒さにたへられませんでした。其の夜のなんといふ長かつたことよ……。

夜は明けました。同時に全滅せる横浜は展開されました。無残にも横たはる其の姿…流行を追ひ華美を競つた横浜…運命の痛い皮肉…かう考へると自然に対するうたがひを抱かずにはいられませんでした。

私が母と妹をさがすべく家の前に行つたとき、そのみじめな変り方に言葉もでませんでした。所々にま黒になつた焼死者の群がありました。それはほんとに悲惨の極でした。彼女等もこんなになつてしまつたのでせうか…悲しくも涙は出ませんでした。ただだまつて歩くことによつて自分のわけもなく悲しくなつたことをまぎらして居ました。

友達に逢つて彼女等の避難所を聞いたときよみがへつたやうな感知がしました。其の夕方母と妹に逢ひました。何はなくともからだけそろつたことをどんなによろこんだことでせう。其の夜…焚火にあたりながら眠るともなくねた其の時のはかなき夢を、でも幸福だつた夢を…しかし思ひ出すことすらできません。眠りながらかたく握つた護身の鉄棒があの夢を破つたのを知つたとき思はず出た苦笑…

軍艦のサーチライトや軍隊(海軍)の出動に力を得た羅災者は其の日の恐しかつたことを語り合つていました。安心と一しょに今まで知らなかつた空腹をあたまをもたけてきました。其の朝でした。玄米のおかゆをいもの葉によそつてすききつた腹をいやしたのは……

そして東海道を歩いて知合の人の実家へ行きました。東海道のにぎはひ、それは昔を思ひ出すに充分でした。何と云ふ運命のいたずらでせう。3日の夜汗と血と砂をあびたからだを湯で洗つたとき精神的のつかれと肉体的のつかれが一度に出て宛で夢中でした。

地震当時からもう半年はたちました。田舎には美しい者がやつて来て、あらゆる物の上に春の若々しさが生れました。横浜にもやつぱり美しい春がめぐつて来たでせう。あの焼あとから力のこもつた復興があたまをもちあげたでせう。元に気満ちた皆様のたよりをお待ち申します。

正会員 丸山光次

入園以来1年半。西に東に渡鳥の如く、昨夏は青森に、今は京都に、転々たる身よ。 弘前市にて1日の夜。京浜両市の全滅を聞きしも震災と聞かず単に大火と聞きたれば、信ず可くもあらず。翌2日に情報刻々に来る。直ちに車中の人となり、上京せしも田端に入りしは、3日の夕なりき鮮人に備ふる武器の棚よ、褞衣縄帯を着用する身の通行の難かりしかな。 

横浜に入り家族と会ひし5日の朝よ。我も泣き家人も泣きし、あゝ其会合。 10数日を家人と送り、兄の重病を見捨て上京し、同人の奉仕に參加せし、あの緊張よ。 

道の為め、家をすてゝ一切衆生に(社会?)に仕ふるは不幸?許させ賜へ。母上。家族に囚はるゝより大なる使命は目前に迫れり。家に在りて仕ふ可きを知らざるに知れども。此使命を如何せん。唯神佛を拝して母上にまみえん。 

青山の明治神宮外苑のバラツクに造られし託児所毛布3枚と菰に臥したる同人220数名は、これ納豆か。賀川豊彦氏の御尽力にて恵まれし布団の数々結び得たり安らかなる眠。 

外苑中部バラツク管理より賀川氏の許に更に震災救護打合会に、集団バラツク管理に、無料宿泊所経営に。貧民窟地図作製に尽さるゝは事業と倒るゝ同人の犠牲よ。上野公園に集合せる社会事業団体の救護施設は、施設の展覧会か。忘れられたる地は横浜社会事業家は何故横浜を打ちすておくぞ。

    ◎ 

復興の為めに来る自由労働者よ。汝等は、投機的野心を持つて集り来りしが、遂に来す可き過剰にて失職する者いるを知らざるか。おびただしき数を見よ。  

東京府内自由労働者の調査 

労働市場       9,138人 
宿泊所          70ヶ所 
同上、人員     11,918人 
無宿者        1,712人 
俘浪者          133人 
            昨年12月下旬現在 

更に東京市を数字上より示せば 

震災前東京市人口   249万9千人 
現在人口         170万人 
罹災者現在人ロ数    96万4千人 
全市受給者放       2万2千人 
集団バラック       110ヶ所
集団バラック居住者数   8万9千人
集団バラック内老廃不其具者 千2百人
全市要救助授児者数    5千2百人
結核患者数         15万人
伝染病患者死亡数      7千人
失業者数           九万人
罹災児童数      15万3千人
            昨12月末現在

右数字より我が横浜市を推定せば吾人の感や無量人数さへあらば、横浜にも御奉公せんものと、同人は期せずして叫びしが、人なきを如何にせん。 

◎ 

復興へ復興へ、ポスター張られ、講演会あり、時に宗教家の乗ずるあり、何を以てか、復興と云ふぞ。如かじ、黙して努力せんには。 我等幸に技術あり、経験あり。乞ふ尽くせ。横浜市の復興にに。家ありても猛火には燃かれ、大地震には壊たる。 

焼きて焼けず、崩して壊えざるは何ぞ。 是等の胸に、此の一言を止めよ。

彼等は努力するにも此不焼不壊の信念を以てせよ困難に耐へ苦痛を忍び、再び大横浜の現出に尽せ。さらば、復興はさしたる難事にもあらざる可し。 

      13年4月14日 鹿ケ谷一灯園にて

今後の覚悟 正会員 三池信行

9月1日正午に起つた振幅四寸の地殼の振動はわづか数時間に数万の同胞と関東一帯の大小都会を地上から奪ひ去つてしまつた。

しかし今はもう我々が震災に驚き、いたづらに涙を落す時ではない。では何をすべき時か今世間に流行の復興か─否、復旧か─否、改造か、然り、我々が今此所に一大改造を行はなければ数億の復興費も朝日の前に積みあげられた雪達磨のそれの如く何の役にも立たないで消えてしまうだらう。改造といつても家屋建設法の改造でなければ、道路の改造でもない、実に理想の改造である、思想の改造である、心の改造である。

あらゆる文明の誇りも自然の前には総べて無価値であるといふことを知つた我々の同胞は未だ数旬を経ぬ今日、既にそれを忘れようとしている忘れかけんとしている。その時代に於ける思湖の流れに下る事は誰でも出来る、流れにさか上る事の出来るのが真の勇者である。

拝金主義や刹那主義享楽主義には誰でも陥り易い又それらが社会的に成功している場合もかなりあるしかし自然の前に踏みにじられた彼等程あはれな者は又とあるまい、今次の大震災は明らかにそれを証明立てゝいる。人間が精伸に生きた時程その生活が堅固であり、奥ゆかしいものはない。

我々は早く上滑りの物質万能生活より物質を出来るだけ除外した精神第一位の生活に入らなければ駄目である。人生の成功とは富豪になる事でもなければ大政治家になる事でもなく又大宗教家になる事でもない自己の過去をふりかへつた時悔いのなかつた生活を送り得た時実にそれが人生に於ける一大成功なのである。

自然の力 正会員 三池信行

まだ去りやらぬ残暑は道行く人々の膚をしつとりとぬらし、太陽の光は思ふが儘(まま)に真昼の中をかけ廻り高層の大建築物はいそがしげに夥しい人の群を吸つたり吐いたりしていた、ぎつしり乗客をつめた小さな電車は夏そのものと言つたやうな成じを見せながらゴーゴーツと走つていた。

しかしその1秒後、真に1秒後――地上は果してその儘総べてをつづけていたか?否-否、道行く人々は寂しい骸に変り太陽はどす黒い悪魔のような煙の為におほはれ……高層の大建築物は無残に押しつぶされ……そして小さな電車は大鷺の前の小雀の如く総べてを焼きつくさなければやまないといふ大火焔の前にビタリと止まつている。

 自然の前にひれふす総べて………

 おゝ……大なる自然の力…………

我が目撃せし震災記 正会員 岡田英二

9月1日……此の日朝早くから珍らしい暴風雨が襲来した。210日の前日であり、何人も異としなかつたが、不思議なのは、午前10時頃迄にさしもの暴風雨は忘れた様に治まり、再び平和な初秋の一日となつた。すると正午前にする1、2分………

市民の多くは昼餐の卓に向つて居る一刹那、何んとも名状しがたい地鳴が聞えると思ふ間もあらばこそ天地鳴動、新築の貿易新報社、神奈川県農工銀行等堂々たる建物も怒涛に弄(もてあそ)ばれるゝ木の葉の如く揺れらるゝ奇観が演出された。

「地震よ」と慌てふためき、屋外に飛出した人々の上には、雨霰と瓦が落ちて来た。壁は割れ、柱は砕け、濛々たる土煙四方を閉ぢ込め阿鼻叫喚『助けて呉れ─』の悲鳴隨所に起り、宛ら斯くの如くして此の世は終るかと思はれる最後の日の襲来をさへ思はせられたのであつた。

揺り直しが、追かけく来る、それがまた、孰(いず)れも路上で歩行が出来ぬ程の猛烈さで建築の腐朽しかけたのや、或は工事半ばの大建築、殊に工場型の建築等は地盤の支柱の少ない硬軟関係も伴つて片つ端から倒壊された。

落ちるだけの瓦礫は落ち、倒れるだけの建物は倒れ、土煙が幾分鎮まりおけたと思ふと、それは忽ち濛々物凄き黒煙と変じ一場の大火災となつたのである。地震に続いての大火災は、これを一言にして云ヘば、災害地に於ける文化の粋、否人為の一切は暴王大自然の手に依つて完全に破却し尽されをのであつた。

建築、港湾、街路、鉄道、電信、電話、水道、電気、瓦斯等総べては空しくなつたのであつた。当夜の光景程恐ろしきものは此の世にあるまい、最初地震と同時にそここゝに発火した時にはまさか斯程の大火にならうとは何人も想像だもしていなかつたであらう。

関内の一角に揚つた火焔を始めに、火の手は市中到る所に燃え上り、罩(とう)々たる黒煙天日を罩(こ)めて昼なほ暗く、煙を透(す)く太陽の光は血より赤かつた。黄昏と共に風勢加はり、紅蓮(ぐれん)の舌はきらめく星を焼かんとし、渦巻く旋風はめらくと燃え上る。数十丈の焔を引つつかんで地上に叩きつけ、それよりそれヘと燃え広がるのであつた。風下に飛ぶ火の子の凄じさ、その中を打ち群れて泣き叫び逃げ走る非難者の潮の如き流れ、背の荷にいつか火の子が落ちて燃え出したも知らずに当ても無く走り続ける、哀れさ恐らくあの瞬間を見たならば何人も戦慄を覚えるであらる。

旋風はまた火元の多かつたと相待つて、隨所に死人の山を築いたのであつた、地震で倒れた家屋の下敷となつて、生れながら焼かれたのは骨さへ解らずになつてしまつたが、街上にゴロゴロと倒れて居る死体だけでも夥しい数……

池水が湯となり、章魚の如く煮られて死んだものそれ等に至つては果して幾何あつたる想像する事も出来ぬ。

大岡の流れに浮ぶ死人を見ては、昼の地震の恐ろしさはいつか去り、一に火事のみを恐れ戦いたものの多かつたのは無理では無い事である。もう焼ける物は無い筈だに、毒々しい煙はまだ空を閉罩(とじこ)めている災害第2日目の午後……

地震と火事とで我国隨一の貿易港たる横浜も総べてこれ灰塵に帰し死灰の都となつた。悼み感しむべく、市中を一巡すべく横浜公園内に立つた。茫然目の前の織るが如き避難者の群の痛々しい姿に見入つて涙も出ぬ気持でいる。

焼けた顔、真つ黒の手や足、眼ばかりギロリとして、唯一夜にして幾つかの齢を重ねたかとさへ思はる人々そこには男も女もない、皆泥と煙によれよれになつた布子一枚裾をからげ焼け跡からトタン板を引きずり出し名ばかりの小屋を作るのと、割れた鍋や釜を拾ひ出して何かを煮て喰はうとする営み……

人間としてこれ以上単的な、これ以上直接なそしてそれ以上急迫したもののない砦みに奔命を疲らしている。その間を縫つて右往左往落つき所を求めて流るゝ人の群が引りきりなしに行きかふ。負はれた幼な子が餓に泣くも乳を含ませる遑(いとま)が無い、病む夫を背に足どり覚束なく行く女房、足の病みを訴ふる子供を叱りつけて急ぐ母とも今宵の宿は何処へ取らうと言ふのだらう。

足許近く、糸でからげられた紙包がある。何かと思つて注視すると此れは又惨しや、生後幾らも経たないと思はれる嬰児片足が紙の破れから覗かれるではないか……地震と火事と命がけの恐怖は、大抵の乳呑子の母をして、その乳を止まらせたと聞いて居た。

此の嬰児の死体も何処の誰れかは知らぬが抱きかえへて猛火の中を逃廻るうち、餓渇と恐怖は先づその命を奪ひいとほしさに此所迄抱へては来たものの最早何うにもならなくなつて涙ながらに捨てるを余儀なくされたのではあるまいか、我身を焼いても子助け様とは自然の人情、然もかうなるには泣いても泣き切れぬ事情が無かつたとは誰が言はう………

後からく人波は寄せて返すが、一人として此の嬰児の死体をかへり見る者はない。『あ─あかんぼが死んでいらあ』――こう云ては過ぎる……… 此れが貿易港の名所の一に数へらるゝ横浜公園の白昼の出来事なのだから驚かずにはいられない。 

公園を出て尾上町から桜木の駅の方へ進んだ。あたりは煙なびく焦土である、その間に散らばる死体男女の別も解らね死体…踏み越える勇気は無かつた。 

嗚呼…… 私は最早此れ以上書くに耐へない、書いても尽きね悲惨事の多々………… 

震死せる気のは呼べども変えらず……。が九死の中に一生を得たる我等こそ末だ天運の尽きざる証拠ではなからうか。我等は大に奮励せざれば天運とは云ヘ犠牲になりし者をどうして弔ふ事が出来ようか。

震災雑詠 正会員 瀬能啓三郎

○禍つ日の呪ひまたたき家を無み あはれさびしき 横浜の 街
○気は失せて呼べど声なき 梁の 下に敷かれし 我が友あはれ
○荒神の力恐ろし地震ふりて ま昼たちまち 真闇となるも
○たけき火の煙にまかれつ山角を かけめぐるさへ夢心地して
○劫火みな 夢なれかしと祈りしを 一夜は明けど 燃え盛りゆく
○災厄の多かる中にただ一人 恵まるゝ身ぞ ありがたきかな
○駈け廻る我こそ嬉し修羅場に 手傷一つも負ふことなくて
○生き残る心さびしも み光に 打語らへる 君待つ 我は
○幸多き 身をほほえみつ人のため 世のため尽す わざ数へけり
○夜の歩哨 淋しかりけり虫の音に 友の鼾の あはれ 絶えだえ
○草臥の假(かり)の褥(しとね)の露に濡れて 友のいびきの静もりつつも
○母はただ涙にむせて一言も いはで迎へし我が姿かな
○とぼとぼと辿りゆくなる道すがら あとふり向けば 埃かけらふ
○戸を叩き 呼び起すさへ力なき 我は疲れて 飢えて やつれて
○『あれ』とただ くぐり戸明けて声もなく 涙にひせび 姉うなづきぬ

或る日の仕事 正会員 奥井平吉

『トントン』と響く鎚の音は高く晴れた秋の空に漲(みな)ぎり渡った。周囲は唯だ焼尽した瓦石のみが磊(らい)々としてころがつて居るのみで、間道に点在するバラックにすつきりと透通る日和の間を伝つて鎚の音は広がつた。

自分は復興の力を込めて鎚を込つて『トントン』釘一つづつ打ちつける内に、小屋は次第に出来上るをやみなき努力に依つて世の中は復興して行くのだ。この微力が集り合つて……。微かな鎚打つ音角材を切る鋸の音につれて我が家は建設されるのだ。此等の小屋の集まりて町は甦るのであると考へて見れば振る手も軽く歎びは心に満ちる。

既に屋根は葺かれ、床は張られた。以前此所に住まつたときの感慨を思へばうたた世の転変の甚だしく、自然の悪戯の偉大なるを恐慌せざるを得ないが然し之に反杭して自然を征服して世を進歩さする力の偉大さを驚歎ないわけにはいかない。唯だ頼むべきは小さき努力のみだ、早く築き上げん、我が心臓は高鳴る。

夕日は暮れかゝつた空を染めて沈んで行つた。点じられた蝋燭の灯は風にゆられながら、食卓を囲む母の笑顔を、父の眼の力の満ちた顔と無邪気な弟の顔とを照した。

秋晴や肴にしみ入る鎚の音
秋古りて我が家築かん地震の後
秋淋し残骸高き夕の町
廃駅に夕日かゝりて秋暮るゝ

その日 正会員 小泉駒吉

親は子を顧みる暇なく、子は親に頼るすべさへなかつた、あの9月1日の大惨事、昨日迄六大都市の一として、将又日本の大玄関として、その壮観を誇つた横浜も、一瞬にして荒涼たる焼野と化して終つた。たとへそれが、天が吾々人類に下して、試練であつたとしても、余りと云へば天も無情である、怨まずには居られなかつた。さうだ、その日丁度始業式が終りて、校門を出て、二谷小学校の脇へ差掛つた時、あの地震が襲つて来たんだ。

自分はあの時夢中で、そばの友達なぞに気が付かなかつた、兎に角学校の裏門から入つて、よろけなから松の木へかぢり付て青息吐息新校舎の舞つて居るのを見つめて居た、誰だか知らなかつた僕の足ヘしかりかじり付いて居たつけが、跡で考へたらふだん自称豪傑寛ちやんだつたには笑つちやつた。

地震に火事はお定まりと聞いて居たが余り手つ取り早いので驚かされた。やつと松の木から離れて少し息をついたと思つたら、もうリンネット工場からは赤いく焔を吹いて居た。あゝそうそうリンネットから火を出したな。学校は大丈夫、誰も一様にそう思つた。気のせいだが妙にむさ苦しい香が鼻をついていた。火事だ!、学校だ!、実験室だ早くホースを出して消火栓につなげロ!、仙波先生が息せきなつたかけて来られた、なる程右手にあたる科学実駿室からは、淡黄い様な煙がもうもうと立ち上つて居つた、すは一大事、学校が火事だと云ふので、自分達は急いで消火栓をひねつたがどうしたものか、水が唯一滴も出ない、断水!、なんたる悲惨なことであらう、泥で消せ!、泥を懸けろ!、半ば無意識で泥を掘った、窓硝子はどんどん破壊される、泥が逃込む、忽ち火は消えた、皆んなの顔は喜びながら青ざめていた。

同志3、4人で裏山づたひに逃けて帰る時は、もう横浜は火の海であつた。その夜は自分は年老いた母の手を引さながら裏山に逃げのびた。ふだん淋しいこの山も今日はにぎやかな一つ村の様であつた。けれどもこの村は親を失つた哀れな孤児もいれば子を救ひ出すことさへ出来なかつた気の毒な親もあるんだ。自分がかうしてやうやうながら母の手を引き、この世に何のあてなく助かつて居るのも幸であると思はねばならなかつた。幸福と思はねば世間の人に申訳がなかつた。

地震所感 正会員 大塚茂

今振りかへつて考へて見れば喜劇で済まさるゝものの当時は全く真剣であつた。家は倒れ道は裂け電柱は折れ総べての科学も芸術もあの大きな自然の破壊力の前には少しの効をも奏せぬ惨状を味はつたその当時は、名誉もいらぬ、金もいらぬ、只々命だけあればよいと云ふ、生への執着に心は支配されて居た畢竟人生の終は生への執着、然かもそれが恐ろしい力でなされるのかと思ふと恐ろしい様な悲しい様な気分がした。

あの際僕の村は四方の山が崩れて諸方との連絡は絶たれ糧食は日に日に欠乏して人の心は恟々として居る矢先、あの朝鮮人駿ぎ、全くこの鮮人の不逞行為を憤る前に一度夢ではないかと疑つた程であつた。

老人や女小供は裏山に非難させて家を捨て金を捨てつつ各自に得物を持つて村境の鉄橋に敵を待ちかまへて居た時の真剣さ。

全く今思ひ出しても身がしまる心地がする。僕がこの自然の悪戯によつて得た事柄は生への執着と真剣の如何に力強きかといふ事である。

その夜 正会員 高橋安雄

長々しいレールの上に重い歩みを繰返し乍ら漸く鶴見駅を過ぎた時には。迫りくる黄昏にあたりは静かにゆるやかに取巻かれ始めた。こんもり茂つた総持寺の山が(いつもの様に)どつしりと腰を据えている中に神々しい山間の姿が謎の如く浮んで見えた。道の傍から広く伸びた田の面にはぎつしりと稲穂が実つて重さうに頭を垂れ、やがて寒るべき死を覚悟したのかの如くゆるぎもせずに刈手の来るのを持つていた。

黄い穂先が次第に深く暮色に包まれて行くにつれ前方の空に漲(みなぎ)る紅蓮(ぐれん)の反映は益々濃く淡く色どらて行く、今東京が燃えているのだと思つた。それと同時に忌々しい連想が頭の中に次から次へ浮んでは消え消えては又浮び、遂には我家の事にまで色々と想像を回らして行つた。

今は想ひに堪へかねてふと目を前方にそらすと、今日一日で大変媒けた様な顔をして人々が、向からやつてきた、洋傘一本を手に握り汗のために所々白粉のはげた足袋裸足の女や、小さな包みをたつた一つ抱へて血走つた眼を前方にむけて急いで来る中年男や、角帽を被り和服に尻はしよりの妙な姿をした学生などが力なげな姿に疲労を訴へ、失望と不安とを両眼に浮べて─あゝ彼等は何所へ行くのであらう、あすの糧は如何にして。

さしも殷賑を極めた横浜市も、早や灰塵の巷と化してしまつていた。私は再び瞳を地上に投げであつた儘興奮に疲れる頭は無意識に考へ続け、両足は勝手に動いで行つた。しばらくして此の空虚な頭に再びさつきの大震当時が蘇つた。かの破壊的震動、あの混乱、四方に起る破壊の音、救ひを求ひる悲痛な叫びとは打重つて激動される空気に伝はり、天は黒煙濠々として、つい前まで澄んでやいた空を幾重にもさへぎりつゝごうごうたる列風にあふられて、東北の空に走り行く物凄い場面が、此の世にしたもこの地に、展開されるであらうとは。

どうしても考へられない、然し帝都の赤空は確に過去の凄惨を物語りつゝあるではないか。ちし之れが神の戒なら余りに惨刻に過ぎたるを嘆かずには居らない、歩みを重ねて幾時間かの後懐しい我が家の前に佇んだ、赤くよどんだ提灯の光が前の欅の木のまはりを照している。その下に僻難している近所の人達がかたまつて居た案じた母は火傷した両足を、苦しさうに支へ乍ら腰かけに身をもたせて居た。

そしてあきらめ居た家は幸に火も出さず残つていた。私は嬉しさの余り不図空を仰ぎ見れば利鎌に似たる秋月はすくすくと上り無数の星は女王を迎ふるが如くきらくと光り輝いて見えた。

おお!今夜は晴れだ。有難い。路上の避難者は何と幸であらうか。然し悪魔の如き焔の反映は益々帝都の空をいや紅く、広く染めている。

震災後の感想 正会員 宮内道雄

麗かな小春静かに南縁に座して震災当時を回想すれば今更の如く自然の力の偉大さと、浮世に小さき名利を争ふ身のあさましさを想はしめらる。あゝあの魔の如き異様な響き、続いて来りし未曾有の強震、それは人智と富力の限りを尽して建設されるゝ数十年の文化の蓄積を、殆んど一瞬的に破壊し去りぬ。

然して狂ひに狂へる諸方よりの猛火は、可憐な幼児等の泣き叫ぶ声をも聞かざりした。折からの烈風にあふられて刻一刻その勢を増し、地上に存在せる万物を尽さざらば止まざるかの概を以て総てを灰塵と化し去り。万物の霊長たる人間もこの自然の悪戯に対して如何ともなす能はざりしなり。当日火迫るまゝに止なく我家を去るの時再び見る事能はざるものなるを思へば、無心の家屋にも心の引かるゝをおぼえたりき。

夫より生きんが為に死物狂ひの奮闘を続け逃廻りしが。広き天下の褌六尺の眇駆のおくべき所なきかを思へば、後醍醐帝が笠置落の悲しさも想ひ奉られき、天地黒煙に包まれ火の包囲愈々身に迫りし時は、平生神佛に祈念するを笑ひ居たりし我身もいつか人々と法華経を唱へ居りしも哀れなりき。

かくして文化漂ふ港として誇りし都も、茫々たる焼野原、昨日は壮麗なる邸宅の奥深く、酒色の外知らざりし身も、今日は一片の焼トタンの下に僅かに雨露を凌ぐ哀れさ、如何に運命とは云へあまりに烈しき転変なりき。是に於て我は彼の義理人情をも辨(わきまえ)へず、鉄の如さ冷き心の所有者として、栄華な日を過さんよりは寧ろ精神的に美しき生活をなすを望むの情を高めたり.更に想を回らせば、我々が大事に所するに軽卒なりしを悲しぬ。何等の罪なきに異境の路傍に横死したる多くの鮮人の心中を察せば誰か一滴の落涙を催さざるべき。

然して更に彼等にも最愛の妻子等のあるを思ふ時は、此等無謀の挙を敢て成したる者の感慨や果して如何。彼等も帝国を双肩に負へる陛下の赤子なり愛国の至誠は赤き潮と体内に波立てるなるべし。この鮮人虐殺の震災後の雑感中に於て、最も我心を離る能はざるいたましくもまた遺憾なりし出来事なり。

大正12年9月1日 正会員 石井一郎

おゝ大正12年9月1日、何たる大厄日!ぞ、夢想だにせね一大自然力の暴虐に数十年来の文明の粋を集めた大都会も一朝にして物凄い墓場と化してしまつた日である。

数日来晴天続きの此日も多少の風はあつたが空は紺青に晴れ渡つていた。そして人馬の往来もいとおだやかに平和の響を立てゝいた。午前11時58分突如として戦慄すべき大地震が襲来した。異様なうなりと共に大地がゆらゆらと揺れ始めた。そして一瞬間毎に揺れが高まり、すは大地震よと叫ぶ間もあらばこそ、山は崩れて川はうづみ、土は裂けで水湧き上り、巌割れで谷をうづめ、渚こぐ船は波にただよひ、道行く駒は足をとめたり。況んや巍(ぎ)々たる大層高楼一つとして全からず。或は崩れ或は破れるゝ間灰塵立上ること煙の如し、地の震ひ家の倒るゝ音雷に異ならず。家の中に居れば転がされ、外にかけ出れば地われさけて、羽なければ空飛ぶ事能はず。

老若男女の悲鳴、もろくも石垣の下敷になつて圧死するもの、親をさがす子、子をさがす親等忽ちにして阿鼻叫喚の巷と化してしまつた。

白日かがやく下に起つた大惨事は地震のみでなかつた。

数分を経るか否やの中に市内の諸方から火が立上つた。

すは火事よと消防隊は出たが水道は断たれるゝ、如何ともなす術なく、炎々たる黒煙はものすごき風をともなりて、大勢刻一刻に増し市の大半は火の海と化してしまつた。

地震を遁れる市民は更に火を逃れなければならい。

太陽はすでに西山に沈みたれども火煙益々猛烈となり人心益々不安となりて何時鎮火すとも見えず。

大震災所感 正会員 熊澤 良

今回の大震災は全く突然に起つた事で、それだけ我々の狼狽した事も多く、大部分の者は何等の準備警戒をも為す事がなく、只自然のあれくるまゝに任せたのだ。身一つで揺れ出さるゝや否や「寝耳に水」と云ふ語が電光のやうに頭の中を通過した事を未だに忘れない。而して僅かにても是の如き大震を仮想して防備の方法を講じてあつたならば、此程の惨害は発生しなかつたであらう。物質文明の産物たるあらゆる物は殆ど無抵抗に火の神に犠牲として捧げられる。

今日の文明を以てしても斯の如き天災に対して何等の威力を示し得なかつたとならば我々は尚斯の如き突発的事変をも考慮に加へて置かねばならぬ。自然と人力との差異が余りに明瞭に大きく吾人の眼前に展開せられる。数ケ月を関(けみ)して竣成した高楼をも数秒間に潰滅してしまつたのでないか。刻々修繕を怠らざる東海道本線の鉄軌をもぐにやぐにやに曲折せしめたでないか。道路と云ひ、運河と云ひ橋梁と云ひ、自然の前にあはれに屈従してしまつたあゝ何と偉大なる自然よ。

精神一到何事か成らざらん、とは我等が甞(かつ)何逼も修身科に於て教へられる所である。我々は此の度の震災に依て此の活ける幾多の教訓に接した事を感謝する。震災数日にして、未だ鉄道の開通しなかつた時に於ては、男女を問はず老いも若きも西へ西へと落ちて行く都の人達の姿を見た時に、殊に幼き子の手を引いて行く母を見た時に、我々は転(ころげ)た、同情の念を禁ずる事が出来なかつた。平常の場合に於て此等の人々がよく十里の道を徒歩し得られるや否た。而も精神的に大なる衝撃を与へられるゝ上に、物質的にも多大の不足と闘ひつゝ、尚かつ之をなし得ると云ふ事は人間精神の統一したる力の如何に偉大なるかを物語るものでなくて何であらう。かくして吾人は震災の為めに学ぶ所は少くない。

震災の横浜を観るの記 正会員 富士本捨吉

大正12年9月1日午前11時58分45秒此の日此の時に彼我共に一生を通じて忘れる事の出来ない一大記念である大震災が起つた。

其の日は朝早くからめづらしい大暴風であつた。けれども農家の大厄日たる二百十日の前日であつたので何人も不思議に思はなかつた。午前10時さしもにあれにあれる大暴風もぴたりと止んで、空天一碧晴天と変つてそよ吹く風も涼しき初秋の一日となつた。

今や人々は美しい昼食の卓に向つて居る一刹那、何物にも名状し難き地鳴がしたと思ふ間もなく、目前の大層高楼は大風に弄ばされる小枝の如く、やがてばたばたと地上に倒される。さしも美麗を誇つて建てる山手方面の巨館も、一溜りもなく砂煙を立てゝどつと倒れる。今迄の平和は破れ「助けて呉れ」「助けて呉れ」の悲鳴が此所彼所に起り、人々は慌てふためき逃げ惑ふ。之れが此の世の終りかとも思はれる程であつた。

哀れ60年の歴史を有し、東洋一の貿易港と誇つた我が横浜も此の一と揺れて、メチヤメチヤに潰されてしまつた。

土煙が幾分か鎮まつたと思ふ頃、忽ち黒煙隨所に起り見渡す限り全く火の悔と化してしまつた。

荷物を負ひ裸足で逃ぐる者、老人を連れて逃げる男、泣き叫ぶ子供を抱きて逃げる女、右往左往に逃げ惑ふ様地獄もかくやと思はれる。炎々として燃え広がる火はますますその勢を加へ夜に入つた。

×    ×    ×    ×    ×

東洋一の賀易港も、今は早や全く崩壊し、僅に開港記念会館、市役所、正金銀行等の残骸のみ寂しく高く聳(そび)えて見渡す限り焼野原と化した。

鳴呼昨日は栄華の都も今は荒涼たる灰の都と化してしまつた。

震災後の覚悟 正会員 苅谷民助

時しも9月1日正午2分前、吾等は古今未曾有の大震火災に襲はれ、一挙にして東京横浜を鳥有に帰し、関東一帯殆んど見る影もなき大惨状に逢着して仕舞つたのである。静かに瞑目して思ひを過去に回すに。帝国の国民を挙げて物質交明に酔ひ、物質万能主義の憧憬と成つて栄華を恣(ほしいまま)にし、徒らに成功熱に煽(あお)り、今や得意の沸騰点に達して放縦驕慢に過ぎ華美堕落の夢に耽つて居たのである。然るに神は天佑を保有する吾が帝国の前途を深く憂慮し給ひ、栄華の夢を破つたのである。思へば此の天災は吾人に対する所謂天譴(てんけん)である。天恵である。

今や自然の威力の最るべきを知ると共に天地の恩恵、社会共同の恩沢(おんたく)に対して何人と難(いえど)も感謝の念を払はない者があらうか。

死線を越えた吾等、勇め、熱烈なる抱負を以て、進め、沖天(ちゅうてん)の意気を以て、今は是れ何の時ぞ、物質文明の酔を天火の洗礼に清められ、天地崩るとも動かず大火黄金を熔(とか)すとも焼けぬ大和魂の修練期である。我が帝国は道徳上に於て世界の師表となり、世界より私慾の氾濫を排除する一大任務を有して居る即ち精神界覚醒の期に非ざるか。一方に於ては実業界革新の秋には非ざるか。

斯く専念以て一途に邁進し、帝国を双肩に担ふて永遠に盤石の安きを図る者は果して誰ぞ。眠れ、安らかに眠れ、噫(あゝ)幾万の死者よ、帝国の犠牲者よ。

余が目撃せし死境 正会員 内海洋治

驕りの極に達したる世は瞬く間に辛酸の淵に落下し、悲痛の渦流に押流されぬ。大正12年9月1日は何の因果、何所よりの懲罰ぞ、と口にするだに心淋しき一日なりき。正に正午12時に達せんとする頃しも俄かに大地は震え大層高楼悉く倒潰せり。此のとき余が視線の彼方に一少女あり。

老も若きも慌てふためきて発する悲鳴の中に、可憐なるかな、此の少女は、住み馴れし家の柱に捉はれて、遂にはかなき圧死を遂げぬ。ああ其の心中や実に……地下の鯰の立腹と知るや、愛にすがりて出でんとして出で得ず。叫ばんとして叫び得ず。走らんとして走る能はず。父母の愛も今は叶はず。

あはれ無念や畜牛にも舐犢(しとく)の愛はある習ひ、顧みて母は救はんとすればまたも揺るゝ、之を押して近づきし時は、はや遅く最愛なる我が子は父母の面影を偲びつゝ黄泉の旅に逝きしなり。父母の心中やいかで察し得べき。あわや我子は六文銭を持たずしていかで賽の河原を渡り得べき、引導なくして淨玻璃(じようはりじやう)の境は善悪何方に反映するならん」等と其の胸中の押しはかられて之より哀れなるはなるはなかりき。

あゝ帰り来ぬ少女の霊よ! あゝ呪はしき震災よ!!

淋しの子 正会員 伊藤勝男

廃虚の巷に夜は君臨する。地上の擾乱は大波の様に去つた。自然の翻弄に震倒され業火に焼きつくされる花都の残骸!其の上に青い月は静かに冴える。自然の反逆に蹂躙される戦場を弔ふ青い鬼火!苦痛に呻(うめ)く断末魔の黄色い霊火!生命の尊い債務の為めに傷しき人々の霊魂よ!人類の使命に自然の反逆に忠実なる戦の子等よ!。

汝の心の窓を開けよ!汝の苛酷な主人公なる自然の暴虐は去つた。美しいビロードの如き平和の夜は来た。疲れるゝ魂に純新なる血と肉は付与せられるであらう、恐れるゝ魂には安逸を希(こいねが)ひ悲しめる魂には光と喜びを待つ。自然の刑期は満ちた。淋しき子は涙ぐむ。彼は彼の友を愛せずに居られないからだ。平和の夜は幾十万の淋しい人々に心のベッドを与へるであらう。生命の守り唄は心安き眠呑を与へるであらう。彼等の揺籃に幸あれ…淋しの子は静かに空を仰ぐ。彼は彼の友を愛せずには居られない。彼れの友の運命を思はずには居られない。

あの猛火に囲まれてしまつた知已。自分の限なく愛して居た知已は何所へ奪ひ去られて仕舞つたのだらう…自然を文配する神様、私は貴様の上に最も大きな呪ひを持つて居ます。あの血にまみれる私の友の苦痛と呻吟(しんぎん)とに何んと云ふ皮肉な惨酷な心快い微笑を与へた事でせう。食欲の舌鼓を打つて私の友を甜めつくした。若しあの時あの恐さを私の友に与へなかつたなら私はあなたの忠実な奴隷であつでせう。

淋しの子は地に伏して泣く。涙の様に星が輝き、大地は冷く頬を打つ。美しい闇流がうるんだ瞳に淋しく浸染む。人は自然に欺かれ虐使され而して滅される、我が友は自然に弄使され過去から来世へ、永却に。自然の大犠牲!「恵まれる秋が来たのに先生!私の知己は永劫に去つてしまひました。」

あの真赤な猛火の中に、いゝえ冷え切つた地中の小さな甕の中に密閉される無気味な骨がどうして私の友でせう。私の知己でせう。私は私の美しい魂を私の友人の胸にひそめよう。「さよなら」。而して土中に淋しく何時までも残つて居る可愛い私の幸福な友人よ。

大正の大地震と工業界 正会員 小池忠一

大正12年9月1日の正午頃、俄然突発した大地震は僅か一分間かそこいらの間におそろしい仕事を為て行つた、家屋を倒し、人畜を圧殺し大都会を焼き払つた、火災の為に死んだ人もどの位あるかわからなぬ。田舎に於ても、火事こそ少ないが家の潰れることはそれこそ大変なもの、殊に工揚、会社に至りては残つているものがない為に工業界は此の大地震に依つて現在一頓挫を来したわけである。新聞等にも工場会牡の大収縮の為め工業界に失業者の多いことを告げている。故に工業学校々友の誰彼の中には『学校へ通ふのがつまらぬ。』といふている者もあるが、僕はさうでない、もつと先を考へている『成程現在の工業界はよくないには違ひないが、しかし今少し経つて見よ必ず工業勃興の時代が来るから。」と

よく考へて見ると、今までの日本の工業界はまだまだ貧弱なものだ。他国の真似ばかりしていた。難しく言へば泰西文明の惰勢に過ぎないのだ。』文明の程度から言へば日本は他に比してたしかに低い。がしかし日本人は強い。精神の強い国民である、東京横浜の全滅位にへこたれない。それは事実が証明している。都人士にしても、田夫野人にしても皆失望して居ない、其の言葉に顔に体に活動の意気がみなぎつている。かうした覚醒の同胞の態度を見るにつけ僕は常に嬉しく思うている。だから遠からず此の惨害も復興するだらう。復興するには何が必要だ。それは工業の力だ。

今までの如き模倣にあらざる工業が震災火災の復輿に目覚しく働くであらう.日本の文明がこれを一期として、泰西文明の惰勢に逆ふ、否これを押し返すの時機が心ず到来するだらうと確信して僕は一心に勉強する一人である。

大震災記 正会員 大澤辰治

鳴呼。思ひ出せば今尚恐しき自然の魔の手は

去る9月1日大震災となりや大火災となりて我等が頭上に降されるのである。其の時の光景真に筆舌に絶し、此世ながらの焦熱地獄は展開されるのである。地震一度来るや総ての通信交通機関は途絶され次いで火災は各所に起り炎々たる紅蓮の焔は全市をして火の海と化せしめ、逃げ惑ふ無数の人々は、叫喚雑踏、大混乱。死せる者傷ける者親を求むる者、子を呼ぶ親、老も若きも貴者も貧者も将又前途有鳥の青年も第二第三の小国民も皆一瞬にして奪ひ去られるのである。

かくして火の滅せざること一二昼夜に全市は灰塵に帰して、残骸は焼野に横へられ電燈は灯されず水道は一滴をも出さず、食ふに食なく寝るに家なし、飢餓は刻々に迫り、恐る可き流言飛語は盛んに起り、人心恟々として停止する所を知らず僅かに身を以て逃れるゝ人々も情けなや、物質上に精神上に、恐怖を来し、遂に兇器を提げて自ら衛るに至つたのである、而して此の恐る可き惨害は帝都を中心に一府四県にも及んだのである。

これに依りで熟々鑑るに現代文明の幼稚さ、施設の不完備さ即ち自然に対抗する人力の貧弱さは吾人の最も慨嘆する所。然るに国民は過去の太平に狃(な)れ精神的に、物質的に

華奢遊惰となり日一日と文弱に陥り言論に宗教に我国古来の美風を破壊し只管(ひたすら)欧米の習風に模倣せんと欲し遂には我が国体をも没却せる非国民もあり。さればこそ一度大事に接するや忽ち常軌を逸する紛乱騒擾を醸すに至りしなり。而してかの如き惨害は天の吾人に降せる一つの試練に過ぎないのである。然るに吾人はややもすれば悲観し或は落胆し遂には自暴自棄するの傾向あり。

斯の如きは吾人の最も恥づべきである、即ち天が吾人にこの絶大なる負担を呉へたるは吾人に反省を求めたのである。故にこの悪むべき惨害も決して悲しむべきに足らず、吾人はむしろ之を喜べきである。今や此の恐るべき震災も過去の幕に入らんとし、人々漸く愁眉を開き皆互に相助けて復興の理想に向ひて猛進しつゝあり。

前途は遼遠なり。而して我等の双肩には復興の重き責任あり。大に本分を尽して国家の興隆発展に資すべきである。

おそろしきその日 正会員 中村憲治

都の復興は第一に人間の健康からでなければならぬ、そこにうごめく若い女性看護婦等の涙ぐましいまでの活動が震炎当時以来日夜甲斐々々しく示されている。私は目のあたり彼女等のけなげな奮闘振を見たのである。

あの日『即ち一日』の大震災の為に難波病院は鼎のわくが如くであつた、硝子は壊れて四方に飛散し壁は落ちる、ドアーは倒れかゝつて来る、二階の渡廊下は大音響を立てゝ落ちる、それらの音と患者の泣き叫ぶ声が合して渦をなして、何とも云へぬ状態に陥つてしまつた。裏手の住家はツミキの家を倒す如く容易につぶれてしまつた。本田院長は患者全部を隣接せる専売局の広庭に運び出す様に命じた。患者の中には伝染病もあれば、瀕死の重症者もあつた。

全部で約156人程入院して居た、看護婦は可成多数居たがその内の多くは一時的の派出婦であつた、然し此の臨時雇の看護婦が自分の身を顧みず吹まくる火煙と戦つたのであつた。病院に火が移り専売局もあやふくなつたので川向の横浜駅から楼木駅に通ずる高架線ガードで熱火を防ぐ考で兄を担架に乗せ私と看護婦でになひ母は病人に必要な品をバスケツトに入れ、落ちかゝつた橋を二人でおぼつかない足どりでガードの所までいつた一休するかしないかする中に側の家からも火を吹出した横浜ドツクも煙に包まれ煙突の倒れる音汽缶の破裂する音も絶間なく聞える。

私等は又そこを逃げて横浜駅の広場に来た所がそこにはもう付近の避難者で混雑していたが前の自動車屋のガソリン倉庫に火がつけば助からぬと警官がふれまはつたので又々逃げ出さなければならなかつた。駅の方は折悪しく風下になつていたのでこれは風上に逃げなければとうてい助からぬと思つたので電車道を通つて自分の家のある方に数町も行くと逃げて来る人がこれるら先は危険であるからひきかへせと注意してくれるので止むを得ずひきかへした。

日は段々暮れかゝつて来る。太陽は黒煙にさへぎられて不気味な程赤々として居た。三人共に食事前のことして腹はペコペコになるし、身体は綿の様に疲れきつてしまう、担架をになつているのがやつとのことであつた。母と私は当然兄と生死を共にすべきであるが、運命づけられる職務的責任観と持ち前の同情心から互に私等と生死を共にすべく覚悟してくれる。母と私は嬉し泣きに位いた。

牛の歩む様に、よたよたとやうやく駅前迄帰つて来たが火は容赦なく背後に通つて来た、熱はカツカとほてつて来る、もう死にもの狂ひに堤を登つて高島駅の裏に逃げ延びたその頃はとつぷりと日は暮れていたライジングサン石油倉庫から吹き出す渦巻く黒煙が旋風と共に襲つて来た石炭倉庫のトタンがバリバリ音を立て空高く舞上る。周囲の空気は火気で熱くなる。病人は元より私達ちの呼吸も止まるかと思はれるばかりになつた。

そこで病人には毛布をひつかけ地面に伏した。或る者は菰をかぶり或るものはバケツをかぶつて防いだ。夜は段々ふけて行く。院長始め医師看護婦疲れはてゝ線路を枕に地上にゴロゴロ横になつた、が患者はうめく声にやをら飛び起きてなにくれと世話をするのであつた。空腹と疲労とで人心地なきまで悩み切つた彼女等はまんじりともせずをの夜を過し2日の朝を迎へた。火勢も弱まりもう安全だと知つた時、百人近くの看護婦は責任を果して嬉しさに泣いた、もとより患者は有誰さに手を合せた。此の場合赤痢もなければチブスもなかつた。たヾそこには人々の情愛あるばりであつた。

刹那の悲哀 正会員 平川迷羊

淋しい暗黒の裡に我は佇む
夜警の為に
恐しき日本刀を握る右手は
汗を帯ぶ
濁り佇ひ校庭の一隅 秋風、夜風は吹く、悲哀を含みて。

夜は更け行く丑満の時
犬声、遠く、人叫悲し
恐怖の力に婦女児は泣く
時は9月1日の
世界に頼りなき
涙の日ぞ
人は死す算をなし
相抱いて日光に身を漂はす
火災の裡に親は死し
巨材の下に子は圧れ
地震の呪ひに妻は消ゆ
そを助る心夫なく
助くる力は人になし
友を呼ぶ声、親は子を
子は親を呼び行けど
今は悲し火の世界
探すタイムも人に無し
大風火をもて襲ひくる
巷!! 巷!! は火 地震 水

夜明に近し東の空
浮び出でくる赤色に
やがて涙の身をおこし
静にかへる我が住居
刀の輝き今は薄し
1923、11、2

或日の日記の一節 正会員 春原正治

12月 日曜日

秋晴の気持ち良い日なので例の如く画の製作にかゝるべく町端の神社裏へ行く途中陽当りのよい境内の、あの恐しい地震の為に破壊される畦の石垣の根に腰をおろしていつもの風船売の爺さんが背に一ぱいの陽を浴びて店を出して居た。慰問品で有らうか綿のフクフク入つたチャンチャンコを着、石の上に赤いネルの布団を敷いて腰掛けて居た。私は爺さんのする事を見詰めて居た。

『毎日良い天気で有難いものだ。』爺さんは一人で呟いた、色々の形の風船が爺さんの手によつて長い絲にむすびつけられて高くフラフラと動いて居る。

『お爺さん』4、5人の男の子が爺の周りに集まつて来た。

『オャお前達は学校へ行がないのかい』

『お爺さんたら馬鹿だなあ!!今日は日曜日だよ』さもおかし相に言つた。

『あゝさうかいお天気様で有難い有難い』爺さんは皺だらけの顔をにこにこさせた。

『ドラドラ少しふくらめ様かね。』爺さんはビール瓶を出して風船をふくらめだした。子供も自分もじつと共のふくれ行く風船を見詰めて居た。

泣く町の復興の音がする。

バチ!!、風船が破裂した、爺さんも子供も驚いた様な顔をしたが次には『ハゝゝゝ』と笑ひがした。

その呑気な笑ひの中にも復興して行く喜びが満ち満ちて居る様に私の耳には響いた。

で私は何時もの作製にかゝるべく其所を去つた。

大正12年9月1日 正会員 高橋龍丸

思ひ起せば憎むべきあの9月1日。朝からどんより曇りてしとしとと隆る雨は何となく薄気味悪く感じた、されどそれが我々にとりては無上のあはれであつた。父も其の日は至つて元気よく非常に愉快さうな顔して出勤の途に付いた。そもそもそれが私共との永別の時であつたのである。母は数日前より病に罹りて床に臥し立つ事は出来でも歩くことは出来なかつたものが当時は偉大なる天与の力があつて一包の衣類を肩に背負ひて飛出し、家族の揃ふのを今か今かと待つて居る。されど父なる人は待て共待て共帰り来らず、それもそのはず其時はもう此の世の人ではなかつたのだ。鳴呼々々思ひ起せば何時迄も何時迄もきりがない。今後は遺族で力を合せて我家の隆昌をはからぬばならぬ。

然しまだまだあはれに思ふ人が数知れずいるのだそれを思へば我々は実に幸福なのかも知れぬ。

日暮里停車場の思ひ出 正会員 平野久二

『あれは信越線だ』『いや本線だ』『何常磐線ですよ』等と大勢の人々が話している。もう日もとつぷりくれて駅の微かな電燈があるばかり。

長い幾つものホームは人で黒山の様である。幾重にも人垣を作つて今度発車する東北線を待つている剣付鉄砲を携へて数十人の兵士が整理に忙しい、大きな汽笛の音が響いた。そら来たと許り人は凄くどよめいて来る。

車がホームに止まると、戦争の如くである、窓から入るもの、屋根へ上るもの、それでも何時かは静まる、汽笛が鳴る。走り出す……と列車の中に、屋根に居る人達はワーと怒鳴る、外の者がそれに答ヘる、何となく涙ぐましい感じになる。

未だ明朝にはなかなか間がある。荷物を枕に汚い藁の上に横になつた、空には星が瞬いている。

大日本の帝都東京、東洋一を誇る横浜港、日本一の軍港横須賀、其れ等が一秒時、確に一瞬時の大自然の一変事によつて他愛なく潰され、焼尽され、今は只堆い灰と化したる、その大災害を知らぬ顔に輝いている。

美しく感じた星の光。それも今は何となく癪にさわる。

こんな時に美的思想も何もあつたものではない。『大本教は偉いもんだ、今度の地震なんかもちやんと予言したんですからぬ』『はーさうですかね』こんな詰らぬ会話が耳に入つた。

こんな所で大本当の宣伝とは恐れ入つたと思つた疲れるまゝに眠り入つた。それは冷たい停車場である。そして寒さにふるへ乍ら。