創立100周年記念誌「二渓の風に乗って」 挨拶・祝辞

創立100周年記念誌「二渓の風に乗って」 挨拶・祝辞

創立100周年記念誌「二渓の風に乗って」挨拶・祝辞です。

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創立100周年に寄せ 校長 伊藤 武志

はじめに、この度の東日本大震災で被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧、復興をお析り申しあげます。


伊藤 校長

神奈川県立神奈川工業高等学校は、明治44年、神奈川県立工業学校として告示され、明洽以降の殖産興業・関東大震災・戦争・戦後の高度成長明・バブル経済・少子高齢化など大きな社会変革の中で、明治・大正・昭和・平成とそれぞれの時代で工業教育の役割をI世紀にわたって果たし続け、めでたく100周年を迎えることができました。これも、創立以来3万人を超える本校卒業生の工業県を中心としたあらゆる分野でのご活躍、神奈川県行政機関とりわけ神奈川県教育委員会のご指導、地域の方々の温かいご理解、そして現役生徒・保護者・教職員の活動など大変多くの方々のご支援をいただいた賜物であり、あらためてお礼申し上げます。ここに、百年の歩みを続けた本校の足跡を記録する「神奈川県立神奈川工業高等学校創立100周年記念誌」を、本校の関係の方々にはもとより、今日まで見守り育てて下さった多くの皆様のお手元にお届けすることができました。発刊にあたっては、記念誌制作部会を中心にした記念事業実行委員会や関係者の皆様のご尽力を頂きましたことに心より感謝中し上げます。

さて、日本全国を見ても創立100年の企業や施設などはそれほど多くはありませんが、東京の日本橋が石造アーチ橋として架橋されて100年となります。この橋の素晴らしいところは、橋の中央部に日本国道路元標の文字が埋設されているように日本の道路の基点として位置づけられていることと、設計の当初から橋梁の専門家だけでなく機械・建設・電気・デザインなどの様々な分野の技術者が共同して形や構造を決めたことであり、すでにこの当時、幅広い工業技術力を意識し、技術力の集大成として架橋され、その後のモータリゼーション、都市環境問題などの社会の変化を見続け、現在に至っています。本校の歴史に重ね合わせて考えるとき、神奈川の工業教育の基点として設立され、また、いくつかの学科改変はありましたが教養豊かな技術者倫理を持った幅広い工業技術人を育ててきたことに共通します。次の100年へ向けても、これまでの伝統を大切にしつつ、さらなる工業教育の基点校として、現在のIT社会に次ぐ自然エネルギ~社会の新たな時代を構築する心豊かな技術者教育を果たすべき学校でありたいと思います。

初代校長杉本源吾氏から数えて19代目の校長として、平成21年に神奈川工業高等学校に着任し、節目というべき平成23年に100周年記念事業にかかわりを持つことができたことは大変光栄であり、すべての関係者の皆様にお礼中し上げます。神奈川工業高等学校の益々の発展と皆様のご健康とご多幸を祈念してご挨拶とさせていただきます。

創立100周年記念にあたって 実行委員長 同窓会会長 小松茂

まずは東日本大震災被害に遭われました方々に心よりお見舞い中しあげます。

神奈川県立神奈川工業高等学校・神奈川工業会(同窓会)会長兼創立100周年記念事業実行委員長として担うことは光栄であり、約5年間準備に尽力してきました。


小松 会長

小生には重責と辞退をしましたが、役員会で受けるべきとのことで受けた次第で、名誉顧問を藤木幸夫様(機械35期)にお願い快諾して頂きまして、徽力な小生も心強い姿勢で進んでまいりました。

この度は学校・PTA・同窓会が一丸となって100周年記念事業を行い、第1弾として5月1日に記念碑除幕式を挙行。PTA、同窓会より学校へ寄贈。当日、記念樹も同窓会より贈り、PTAからは懸垂幕が寄贈されました。

11月11日にはパシフィコ横浜国立大ホールにて創立100周年記念式典・講演会他を挙行、当日は来賓をお招きし、歴代校長・旧職員・近隣町内会・PTAOB・同窓会会員等に参列して頂きました。

講演はJAXA「イカロス」プロジェクトリーダー・森治氏及び東京芸術大学教授で日本画家の中島千波氏(木材工芸科50期)が講演、最後に横浜消防音楽隊による演奏で幕を閉じました。司会は永井邦子様でした。列席数2300名位で盛会のうらに終了しました。その後、会場をロイヤルホールヨコハマに移して祝賀会を装行しました。

学校・PTA・同窓会の皆様方の協力、ご支援を頂き、大会の成功を期して溢れるばかりの熱意をもって、日夜準備に努力してこられた方々に厚く御礼申し上げます。これから101年を迎え、新しい母校の発展を祈念しPTA活動・同窓会継続活動が個性ある風恪を備えたものになってほしいと信じております。

神奈川県立工業学校と同時のスタートとし身近なものに曹洞宗大本山・総持寺が石川県能登より鶴見へ移転、堂々たる構えであり、また横浜港を代表する史的建物・赤レンガ倉庫も今は商業施設ですが堂々たる容姿を備えており、さらに県立上溝高等学校も同年の創立です。

いつの時代にも仕事にも人生にも真剣に取り組んでいる人がおり、そういう人たちの糧になる人材を創れたらと思っています。

小生事になりますが、同窓会には20年位前より深山重利様(家具科19期)に無理矢理に理事に推薦され参加するようになり、しかし自分の仕事が忙しい時代でしたのでぽちぼち出席していました。段々と先輩も去り、出席しなくてはとしているうち副会長に指名され、6年位前より会長代行、そして会長となりました。

4年前に前校長より100周年記念事業実行委員長に任命され、今日に至りました。

成績の良くなかった小生ですが、副会長3名、事務局長・理事の皆様に恵まれここまでやってこられた事を感謝申し上げます。

何はさておき創立百周年、“オメデトウ”ございます。

校歌3番にある「天与の使命」と思い、劬(いたわ)り努力をしてきました。最後になりますが101年に向けて、神工の益々の発展と皆様の弥栄を析念申しあげ、挨拶文とさせて頃きます。平成23年神楽月吉日

お祝いのことば 神奈川県知事 黒岩 祐治

神奈川県立神奈川工業高等学校が創斌100周年を迎えられましたことを、心よりお祝い申し上げます。

神奈川の地に工業学校設立の計画が動き出した明治40年前後の横浜付近は、後に京浜工業地帯として日本の産業を支えることになる臨海部の工業がようやく発展の緒についたところで、横浜港の貿易を支えるために、さらなる工業の振興が望まれるという状況であったと伺っております。こうした中で、神奈川工業高等学校は、明治44年に神奈川県内初の工業学校である「神奈川県立工業学校」として、全県の期待を一身に集めて設立されました。以来、常に本県の工業教育をけん引し、工業県に多くの有為な人材を輩出してこられたことは敬服すべき功績です。

この1世紀の間には、関東大震災や戦争による壊滅的被害、バブル経済崩壊後の日本経済の低迷等、幾多の試練があったことと思いますが、それらを乗り越えながら100年の歴史を積み重ね、神奈川の工業教育を守り育ててこられた歴代校長先生をはじめ、教職員ならびに学校関係者の方々にあらためて敬意を表します。

さて、昨今の私たちを取り巻く状況に目を向けますと、21世紀の大きな課題である地球規模での環境問題の解決は、途半ばであると言えます。また、情報技術の進歩に伴う諸問題の克服と新たな可能性の追求も、これから取り組んでいかなければならない課題として挙げることができます。さらに、このたびわが国を襲った未曾有の大震災では、既存のエネルギーや生活の在り方を見直す必要性を認識させられました。こうした様々な課題を解決するために、わが国の伝統に支えられた「ものづくり」の技術力は、日本国内だけでなく、世界からも期待されています。確かな技術力を身に付けた人材を育成することは、「技術立国」である日本に課せられた責務と言っても過言ではありません。

このような現状を踏まえて、神奈川工業高等学校は、今まで築き上げてこられた輝かしい伝統を未来へつなぐとともに、諸問題の解決に幅広い視野で取り組むことのできる優秀な人材を、これまで以上に送り出してくださることと確信しております。

百周年という大きな節目を機に、神奈川工業高等学校がさらなる発展を遂げられますことを析念し、お祝いのことばといたします。

お祝いのことば 神奈川県教育委員会教育長 藤井 良一

神奈川県立神奈川工業高等学校が今年で創立100周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。

神奈川工業高等学校は明治44年に開校以来、「質実剛健」の校風のもと、質の高い工業教育を展開し、これまで3万人を超える卒業生を世に送り出してこられました。この学舎で勉学に励んだ卒業生の多方面にわたる活躍は、神奈川工業高等学校が県下有数の工業高校として歴史を重ねてこられた証左であります。

さて、現在の神奈川工業高等学校は、近代的な設備を有する10階建ての校舎が偉容を誇っておりますが、ここにいたるまでの道のりが平坦なものではなかったことは想像に難くありません。特に、終戦直後には校地が米軍に接収され、他校の校舎を借りての分散授業を余儀なくされたと伺っております。しかし、そんな中でも、工業教育の火を絶やすことのないようにとの思いから、当時の山賀校長を中心に、県下に4校あった工業高校が共同で使用することのできる「綜合実習工場」の開設に力を尽くされたことで、その後の高度経済成長を支える人材育成の礎を築いたといっても過言ではありません。

これまで、神奈川工業高等学校の教育の発展・充実に寄与された歴代の校長先生はじめ、教職員の方々、そして、同窓会、保護者や地域の皆さまのご協力に対し、心から感謝申し上げます。

新しい世紀を迎えて早10年、社会の移り変わり、産業構造の変化は加速度的に進行しております。神奈川県は、平成19年に「未来を拓く・創る・生きる 人間力あふれる かながわの人づくり」を基本理念に掲げる「かながわ教育ビジョン」を策定し、神奈川らしい教育の推進を提唱して参りました。激しい変化が予想される時代にあっても未来をたくましく切り拓き、自己と社会の未来を創る強い意志を持った若者達を育てることが、これからの神奈川の、強いては日本全体の発展につながると考えております。なかでも専門高校の教育には、時代の変化に即した知識、技術の定着と、確固たる勤労観、職業観の涵養が求められるところです。

これらを踏まえて、神奈川工業高等学校の教職員の皆様には、是非ともこれまで以上に地域や産業界との連携を密にし、幅広い知識と技術を持った若者の育成に取り組んでいただくようお願いするとともに、神奈川県工業教育振興会並びに県産業教育フェアの事務局校として、今後とも神奈川の工業教育振興にさらなるリーダーシップを発揮されるよう期待しております。

今日から新たな百年に向かって、神奈川工業高等学校がこれまで築いてこられた伝統の上に力強い歩みを重ねられますことをお析りして、お祝いの言葉といたします。

運命的な人生 全日制PTA会長 瀬谷 武史

神工(じんこう)創立100周年大変おめでとうございます。記念すべき100年の節目に学校と関わることができ、大変光栄に思います。


瀬谷TPA会長

ちょうど30年前、満開の桜をくぐり神工ヘ入学しました。当時は今のように全県学区ではなく唯一、工業や商業などの専門科目を持つ学校で全県学区が採用されていました。出身の中学校からもあまり前例がなく、不安もありましたが、小さい頃から電気製品に興味があり、いろいろな物を分解しては組み立てたりしていた姿を見ていた両親は迷わず工業高校なら「神工」と考えていたようです。しかし、神工に人学した事を親以上に、一番に喜んだのは母の兄である伯父でした。この伯父も神工で戦時下、機械を学んだ大先輩です。

私は「電気のいろいろな事が学べる」と意気揚々と人学した当時、まさかそんな私が人の子の親となり、PTAに関わる事など夢にも思いませんでした。

まだ、子供が人学する前の事ですが、今でも思い出すのは、卒業後に初めて現在の校舎を見た時あまりのショックにしばらく言葉が見つからなかった事です。これが高校?と思わず口に出てしまいました。学校の規模も設備も私たちの頃とは雲泥の差です。

現在の校舎は当時を思い出させる面影は残っていませんが、しかし伝統は脈々と引き継がれているようです。

長男がお世話になり、そして続けて二男もお世話になり、私は今年度で役員3年目となりました。役員という立場上、自校の事だけでなく、他の学校の事も気になりますが、それ以上に他の学校は神工の事が気になっているようです。100年という歴史と全国的に見ても充実した設備、そして2つの学校が共存する大きな敷地。神奈川工袁の名前を知らない人はいません。

神工は百年の節目を迎えましたが私たちPTAは更にこの学校を良くするために全力をあげて取り組まなければならないと考えます。

皆様のご協力でなお一層、神工を盛り上げて頂きたいと思います。

創立百周年に寄せて 定時制PTA会長 福井 誠治

神奈川工業高等学校創立百周年おめでとうございます。

子どもの人学を機に初めてPTA役員を引き受け、右も左も分からぬ中、前会長の下で1年間徴力ながらお手伝いをさせて頂き、翌年から会長を引き継ぎました。上の子が無事卒業したのと入れ替わりに下の子が入学し、創立100周年の今年度をPTA会長として迎えましたことを、誠に光栄に存じます。

近年、神奈川県では定時制高校を受験する生徒は増える傾向にあります。全日制高校の募集伜の削滅、経済的な事情による私立高校への進学断念等、様々な理由によりますが、平成23年度は希望を叶えられない生徒も出てしまいました。私の息子が受験した年には、受験者を全員受け入れた結果、予定よりもクラスが増える事もありました。生徒数が増えても、すぐに教職員の増員につながるというわけにはいかず、先生方は大変苦労されたと思います。学校へ行く度に、教職員の方々の頑張りを感じ、感謝の念を抱いております。

初めてのPTA定例会終了後に、当時の平野教頭先生に校内を案内して頂き、授業風景を見学しましたが、4年生の教室では先生1人と生徒2人で授業が行われていました。そのころ既に導入されていた定通併修制(3修制)を利用して、3年間で卒業する生徒が多かったので4年生はこの2名だけでしたが、この真剣な授業態度がとても印象的でした。一方で、10月以降も落ち着かない様子の生徒がいることを感じたため、PTA役員と指導部の先生方が協力して校内パトロールを始めたのもこの年のことです。生徒の反応は様々でしたが、回を重ねた結果、落ち着きを取り戻しました。

その年の卒業式では、70歳の方が卒業証書を受け取られるという感動的な場面がありました。また、同じPTA役員として活動を共にしてきたお母さんがPTA活動を通して向学心に目覚め、翌年、自らが入学して、見事に3年で卒業されるという例もありました。毎年、卒業式で達成感溢れる卒業生の顔を見るのが楽しみになっておりますが、私自身がこの学校に関わりながら勉強をさせて頃いている気がします。今後とも、できる限りの活動をしていきたいと思っております。

最後に、神奈川工業高校の益々の発展を析念して、お祝いの言葉と致します。