県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 神奈川工業高校2
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2期制から3学期制へ

1977(昭和52)年、それまでの2期制が、3学期制に改められる。そのいきさつについては「神工70年史」に次のような記述がある。

「戦後の新しい教育方法を実施するなかで、それまでの3期制を改めて前期・後期の2期制とした。これは卒業学年の3学期は、ほんの僅かの授業時数しかないことが大きな理由であった。2期制では9月に前期が終わり10月1日が後期の始業となる。年間のテスト回数も3期制より少なくて実際に授業できる日数が多くなったり、夏冬の休業直前にあわただしく成績を出さなくてすむなど幾つかの利点が凍った。しかし夏期休業あけの9月早々に前期末テストがあったり、テストの間隔が大きいことなどは、だんだん生徒の学習実態とうまくかみ合わなくなってきた。そこで高校では県内でも稀な例として残っていた2期制(大学は大部分が2期制)を廃止することになった」

以来本校は現在まで3学期制を継続しているが、1992(平成4)年に週5日制が完全実施されるのに伴って、他の県立高校では授業時間確保を目的に、逆に3学期制を2期制に改める動きが見られるようになった。

この時期、修学旅行の実施時期についても検討が加えられている。それまで、3年生の秋に行われていた修学旅行を2年生の秋に変更して実施したのは、1971(昭和46)年のことである。

「3年生になると間もなく就職試験があり、それが秋まで続く状況があった。天候のおちついた秋、文化祭の準備にも影響しない頃に修学旅行を実施するのが常であったがどうしても就職試験の関係で参加できない者もいて、早い時期に行ったこともある。思いきって2学年で実施することになったが、この年は、3年生、2年生と2度の修学旅行があった」(神工70年史)

しかし、就職試験が10月に固定されたのに加えて、1976(昭和51)年に、体育祭の実施が秋に変更されたこともあって、翌年から修学旅行は3年生の春に実施されるようになった。1991(平成2)年度、2年生がスキー修学旅行を実施してからは、2年生の冬に出かけることがしばらく続くが、その後3年生の春に実施する形に戻り、現在に至っている。

校舎再建計画と県への要望書

戦後長い期間を経て復興発展を遂げた本校の設備も、20年余りを経てさすがに老朽化が目出つようになってきた。日進月歩の技術革新に対応することのできる充実した工業教育を保障するためには、設備の充実が焦眉の急であった。創立70周年を3年後に控えた1978(昭和53)年3月、「70周年構想委員会」が発足し、70周年を機会に教育環境を根本的に改善するために、校舎の再建が検討された。同窓会・PTAと共に全面的な建て替え(新築)を目標とした要望書が提出されるが、折から神奈川県は1973(昭和48)年から始まった「百校計画」の最中で、既設の高校の建て替えに予算を割く余裕はなかった。再度「学校施設改善についての要請」が11月8日付で提出された。

「本校は本県工業教育の発祥の地として輝かしい歴史をもち、幾多の人材を世に輩出し、また全国的にも有数の工業高校としての自負を持っております。しかしながら正直いって教育環境は今となっては県下でも劣悪な状態であろうと思います。3年後の昭和56年には、70周年を迎えようとしておりますだけに、県当局におかれましては本校の窮状について充分ご理解をいただきたく校舎、体育館、運動場の整備改善にっいて格別のご検討ご援助を賜りたく学校関係者連名でご要請する次第であります」(「学校の施設改善への要請」より)

1980(昭和55)年には、グラウンドの整備工事、1990(平成2)年には本館を除く外壁のリフレッシュ工事が行われたが、本格的な校舎再建計画は実現を見なかった。

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