県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 神奈川工業高校2
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創立50周年記念行事

「終戦直後、わたくしども工業教育関係の校長が県庁に呼ばれました時に、これからは日本は農業国になるのだ、デンマルクを見本にして平和国家を建てるんだ、工業などは、なべ、かま、すき、くわ位をつくるもの程度あればよろしいのだということを聞かされたが、わたくしどもは、とんでもない、これから本当の工業を興さなくてはならないのだ、ということを口をそろえて申しました」

1961(昭和36)年、創立50周年記念式典における副島校長の挨拶の一節である。敗戦当時、校地・校舎どころか、「工業学校」の存続すら危ぶまれた有り様が語られている。1945(昭和20)年5月の横浜大空襲で壊滅的な打撃を受けて以来、終戦直後の米軍による校地接収、他校の施設を借りての分散授業、バラック仮校舎の時期を経て、ようやく昭和34年の鉄筋コンクリート建て本館の竣工を見るまでの道のりは長く険しかった。こうして迎えた創立50周年は、様々な形で本校にかかわってきた人々にとって感慨ひとしおであったにちがいない。5月13日から15日にかけて行われた創立50周年記念行事は盛大なものであった。

創立50周年記念の
体操選手による模範演技
創立50周年記念時の正門 記念式典
展示会 芸能祭

5月13日(土)

記念式典 午前10時 講堂記念式

次第

開会の言葉

国歌斉唱

記念会長あいさつ

功労者表彰

感謝状贈呈

祝辞被表彰者代表あいさつ

校歌斉唱

閉式の言葉

展示会(機械科・建築科・電気科・電気通信科・木材工芸科・工芸図案科・電子工業科による)

式後来賓のみ

祝賀会 午後1時 本館二階会議室(来賓)三階社会科合併教室(職員)

芸能祭 午後1時〜4時 講堂

5月14日(日)展示会 午前9時〜午後6時

PTA祝賀会 午前10時 講堂

同窓会総会および祝賀会 午後1時 講堂

芸能祭 午後4時40分

プログラム

合唱  音楽部

校歌  スリコ、ドニエプル河の嵐、箱根の山、若人の歌  歌唱指導:北上夜曲

吹奏楽 ブラスバンド

軍隊行進曲、スワニー、西部の人々、ワシントンポスト、日本民謡集、コバルトの空、他

劇   演劇部

海の底の6人

招待試合 テニスコート

 5月15日(月)展示会 午前9時〜午後3時

体育館開き 午後4時〜5時

期間中は、生徒会各部の活動成果を紹介するクラブ展も行われた。会場となった講堂兼体育館は、記念事業の一環として、総額1800万円の建設費用のうち約450万円を講堂納付金の名目で県に寄付し、同年3月31日に竣工したものである。3回に分けて行われた祝賀会には述べ1390人ほどが参加し、半世紀の歴史をかみしめた。また、15日午後の体育館開きでは、オリンピック・ローマ大会(1960年開催)候補選手を含む男女9名の模範演技(徒手体操・鉄棒・平行棒・段違い平行棒・鞍馬・跳馬・マット運動)が行われている。

プールの完成と水泳大会

1962(昭和37)年3月、本校に初めてプールが完成する。それまで学校内にプールが無かったため、子安海岸や本牧海岸で行われていた水泳指導は太平洋戦争中、六角橋プールに場所を移して続いていた。25m、6コースのプールが校地南西の隅に完成したことで水泳の授業や部の活動は格段に便利になった。

水泳大会は1985(昭和60)年になると、場所を元町公園プールに移して行われるようになったが、1991(平成3)年7月に行われたのが最後となった。校舎の建て替えに伴い屋外プールの取り壊しが行われたことや、その後水泳の授業が選択になったことが重なって、復活することがなかった。

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