野球好きで、放諜後や夏休みのグラウンドでは野球部の練習を見守る姿がよく見受けられ、夏休みに選手を公舎に招いて食事をしながら激励することもあったという。囲碁・釣り・謡曲・俳句など多趣味な人でもあった。勇退後も、菊名の自宅を訪ねる卒業生は多く、還暦を記念して1938(昭和13)年、学校玄関前に銅像が建てられた。二渓苑6号に掲裁された祝辞集から引用する。
本日此処に諸先生並に先輩諸氏のご尽力に依り芽出度く秋山先生寿像除幕式の挙行を見るに至ったことは本校生徒として心から喜びに耐へない次第であります。
先生は御在職二十余年、其の間本校の発展改善の上に貢献せられた功労は多大なものでありまして、本校が今日押しも押されもせぬ全国有数の工業学校として質実剛健を以て世に聞え、又社会に幾多の人材を輩出したといふことは偏へに先生の御人徳の賜でありまして、先生が県教育界の香宿として重きをなした所以であります。又先生は吾々に対して慈父の如き優しさを以て直接、間接に御指導下され、吾々も又子の如き親しみを以て先生に接したのであります。先生の風格、自然に備はった温容風姿は本校の円満な明るい外観風貌をそのまま代表した様なものであります。前述の事柄に照して此処に先生の寿像除幕式を見るに到ったことも当然の現象と言はなければなりません。
今や全国津々浦々に迄、工業立国が叫ばれてゐる時に際し先生の御勇退を見たことは吾々としても遺憾措く能はざるところがあります。然しながら吾々は朝夕先生の御寿像に接し以て御教訓を思ひ出し実行してこそ真に先生の御趣旨にかなふものと確信し、それが先生に対しての報恩の第一であると思ひます。此の機に於て衷心より先生の多年の御苦労に対して聊か謝意と敬意を表して本日の祝辞と致します。(機械科 安芹芳雄)
この銅像には、戦時下の供出で撤去され「出征」してしまったという後日談がある。
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