県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 神奈川工業高校2
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野球部県選手権大会2度の準優勝

強豪校がしのぎを削る神奈川県で、戟後、夏の選手権大会2度の準優勝を成し遂げた野球部の活躍は記しておかねばならないだろう。

1990(平成2)年7月30日、第72回全国高校野球選手権神奈川大会の決勝戦は共に公立校同士の対戦となった。横浜商業を相手にエースの左腕吉田は6回まで打率3割3分を誇る強力打線を零封の好投を見せるが、それまで2試合を投げ抜き試合前から痛みの走る肩は遂に7回に限界を迎える。試合は1対3の惜敗だったが、吉田は試合後のインタビューに「決勝戦でしかも相手はY枚、これ以上の試合はありません。満足です」と答えた。当時監督を務めていた建設科教諭の高橋唯吉は、この時のことを90周年記念誌の座談会で次のように語っている。

180センチメートルを超える選手が5人もチームにいました。こうした大型チームが準優勝の要因でした。グラウンドには恵まれていませんでしたが、道路反対側のお寺の私有地の坂道を借りて、足腰を鍛えました。ピッチャーにはランニングを毎日させました。本校は夏の試合では強くなく、実力は平年ベスト16ぐらいの力だったと思います。ピッチャーは130kmぐらいの球速で、パームボールが武器でした。これで横浜高校の鈴木選手(後にベイスターズ)以外は抑えることができました。打撃陣は川崎北高との準決勝戦で河原投手(後にジャイアンツ)を2回で降板させました。決勝戦では神工が押していたのに本当に残念でした。

2004(平成16)年、86回大会でチャンスはもう一度やってくる。この年、神工野球部は、ノーシードながら2回戟鶴見工業を13対0(5回コールド)で下すと、多摩(3回戦・6対1)武相(4回戦・4対3)平塚学園(5回戦・5対2)と勝ち進み、さらに準々決勝では横浜創学館(6対4)準決勝では第1シードの横浜隼人(4対11)に快勝し、14年ぶりの決勝戦で神奈川県下195校の頂点を争うことになった。対戦相手は好投手涌井(現西武ライオンズ)を擁する強豪横浜高校。4回戦以降、坂間・後藤投手の継投策と効率のよい攻めで勝ち進んできた神工チームだが、決勝戦では、初回スクイズで先制されると、さらに2回、4回と犠打で追加点を許し、5回には連続長打で4点の大量失点。涌井の好投に12対0の完封負けを喫した。しかし、その戦いぶりには称賛の声が送られた。

9回1死。代打で送ったのは今大会活躍した本杉、萩原の両2年生。西野監督がいう。「もちろん、ここまで頑張ってきた3年生を出したいという気持ちはあった。だが、かれらはきっと分かってくれているでしょう」王者の力を感じての大敗。神奈川工業はしかし、私学勢を破ってきた挑む姿勢を最後まで捨てなかった。(「高校野球」神奈川グラフ2004決勝戦を振り返る より)

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