県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 3年制工業学校の頃
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別科の増設、電気科・図案科の新設と工業補習学校の附設

1914(大正3)年4月から、これまでの機械科・建築科は本科となり、高等小学校卒業程度を入学資格とする別科が新設された。別科に設けられたのは、機械科・大工科・家具科の3科で、修業年限は1年であったが、これは翌年16人の卒業生を出すのみで1917(大正6年)には廃止される。

1915(大正4)年、第1回卒業生(機械科33名、建築科18名、前年に新設された修業年限1年の別科16名)を送り出すと、新年度からは建築科が建築科と家具科の2科に分けられ、さらに電気科と図案科が新設された。

建築科は、開校当初から建築(第一分科)と家具(第二分科)とに内容が分かれていたのを2つの科として分離したもので、自然な成り行きであったといえる。電気科と図案科の新設は、神奈川県の輸出産業と電力産業の進展を背景としたものであったらしい。特に現在のデザイン科の前身である図案科に関しては、当時、東京美術学校(現東京芸術大学)や東京高等工業学校(現東京工業大学)などの上級学校には設置されていたが、関東地方の中等教育の工業学校としては埼玉県の川越染色学校(現川越工業高等学校)にその名を見るのみで、先進的存在であったと考えられる。

1916(大正5)年には高等小学校卒業を入学資格とした夜間1年制の工業補習学校も附設される。ここには機械科、建築科、電気科、普通科の4科が置かれた。

「幸ニ県下ニ於テ立派ナル工業学校ガ存在イタシテ居ルノデアリマスカラ、此場所此校舎、此設備ヲ利用スルト云フコトハ甚ダ適当デアルノミナラズ、殊ニ神奈川方面ニ於キマシテハ幾多ノ工場等モ存在ヲ致シマスノデ、今此工業学校ニ附設スルト云フコトヲ信ジマシテ此所ニ附設ヲスルト云フコトニ致シマシタ」(大正4年 内務部長所信・『神奈川県会史第4巻』より)

ここに登場する「立派ナル工業学校」というのが本校を指していることは言うまでもない。因みに、工業補習学校の設置案は、前年1914(大正3)年の県会では、「県財政緊縮の秋に於て、附設工業補習学校費七百四十八円の如きは比較的急を要せざるものと認め之を削除せり」として一度否決されている。それがこの年再度検討され実現を見たわけで、神奈川の産業の発展は、それまで遅れていた工業の実業補習学校の設立を必然とするところまで来ていたのである。

1919(大正8)年には学則が改正され、科目制、期制に改められるなど、内容の充実が図られる。

(神奈川県立工業学校附属工業補習学校学則・抜粋)

第三条 本校ニ機械部、建築部、電気部、図案部及ビ普通部ヲ置キ更ニ機械部ヲ機械学、工具及ビ製作法、原動機、機械製図ノ四科ニ、建築部ヲ家屋構造法、建築用材料、規矩法、仕様見積法、建築製図ノ五科ニ、電気部ヲ電気機械、電気応用芯、発電所、電気磁気、電気製図ノ五科ニ、図案部ヲ図案法、工芸美術史、図画、図案実習ノ四科ニ、普通部ヲ国語、工業数学、工業理科、英語ノ四科ニ別ツ

科別の枠は固定的ではなく、時間割の都合さえつけば他の科の科目も習得することができる仕組みであったようだ。

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