同じ紙面には、特集として全日制の生徒の「脱帽登校」問題が大きく扱われている。当時の校則では、男子生徒には詰襟の制服と制帽を着用して登校することが定められていたが、この頃になると遅刻と並んで帽子を着用せずに登校する生徒の事が例年生徒議会や教員の指導委員会で問題となっていたようである。
新聞部のアンケートによれば、8割を超える生徒は制帽を着用して登校しており、着帽の必要性を認めるという回答は4割強、帽子を被って登校することにも4割を超える生徒は特に不満を感じていないと回答しているが、着帽制に反対するものとしては「戦前の軍国主義政策の遺物であり、全体を画一化する必要はない」服装や帽子の規定は「自由主義に反する。形式主義は伝統にかじりつく神工に真の発展をもたらさない」などの強硬意見も紹介されており、社会の趨勢に敏感な当時の高校生の一端をうかがうことができる。
学校の回答として「生徒からの強い要望がおこれば、今年度は無理であるが来年度にはそのことについて積極的に検討してみてもよい」との立場が示された。
記事は次のように締めくくられる。
「生徒諸君だまっていては規則は変わらないのだ。もっと積極的に行動し発言して、もう時代遅れとなった規則をもっとよい方向へと変えるように努力しようではないか。君たちが本当にその必要性をみとめないなら」
「脱帽登校」問題は翌年の紙面でも取り上げられており、教員や生徒にとっての大きな関心事になっていたようである。一方遅刻問題は、「これでよいのか神工生」の大きな見出しが日を引く。
「最近特に校内で問題になっている、遅刻問題、授業、学習について、特にあまり芳しくないことを生徒自身も気がついているし、先生方も痛感しているだろう。やがて今年も卒業式、終わると新入生が360名入学してくる。とかく後輩は先輩の悪い方が目に付きやすい。三年生は社会に巣立っていくにあたり、また在校生はいま真剣にわれわれの学校をいや生徒自身の心のゆるみを締め直さなければならないのではなかろうか」
1968(昭和43年秋、遅刻者の多きを見かねた生徒会の統制委員会が自主的に調査と「取り締まり」に乗り出す。以来4カ月、遅刻者の数は3分の1ほどに減ったようだ。
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