県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 3年制工業学校の頃
戻る

地名と当時の風景

県庁内に設置されていた本校事務所は、1911(明治44)年3月31日に「横浜市神奈川町字平尾前」の仮校舎に移転する。当時の地名である「平尾前」というのは、北条氏の家臣で、太田道灌から賜った持仏を本尊として東光寺(神奈川区東神奈川2丁目仲木戸駅付近)を建立した、武将平尾内膳に因むものである。その後、1927(昭和2)年に区制が施行された際に「横浜市神奈川区神奈川町」となり、さらに1932(昭和7)年、「字平尾前」と「字中川」の両地域が合併した際に、現在の地名平川町」となった。「二ツ谷」というのも学校周辺の古くからの字名で、その由来は「二軒屋」であるといわれているが、東西を白幡と栗田谷の丘に挟まれた、開校当時の学校付近の眺めは、二ツ谷の地名を実感できるものだったようだ。

東神奈川駅(明治41年9月開業)の周辺は、東口方面こそ国道(15号線)に向けて一応の街並みが出来上がっていたものの、西口方面は、一面に広がる田畑の向こうに雑木林の白幡・二本榎・高島台の丘を望む「田園凰景」であった。そんな様子であったから、本校舎が完成すると、東神奈川駅から高さ75尺(約23メートル)あった学校のボイラーの煙突を見渡すことができたという。学校の敷地には白楽の丘から運ばれた土が1メートルほど埋め立てられた。開校の後も校地の整備は引き続き行われていたようで、4回生あたりまでは汗と泥にまみれて校庭の整備作業をしたという思い出を持っている。

記念誌トップへ

※同窓会ホームページはこちら



(c) Kanagawa Kougyoukai