県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 神奈川工業高校2
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電子工業科の新設・工業高校の大増設・入学定員の増員

1956(昭和31)年7月発表の「経済白書」には、「もはや『戦後』ではない」との有名な一節が記されている。戦後の不況に喘いでいた日本の工業界も、1955(昭和30)年頃にはじまる高度経済成長に伴い隆盛を迎えると、工業技術者の需要数が急激に増加し、その確保に困難を極めるようになる。加えて新技術の開発や導人に伴って工業技術の内容も大きく変容した。

1960(昭和35)年には「国民所得倍増計團」が閣議決定されるが、それによれば、その後の10年で工業高等学校卒業程度の中級技術者の数は約44万人不足することが予測されていた。これを受けて、文部省は機械、電気、工業化学、建築、土木に関する学科を中心に、工業高等学校の入学定員を6年間で85,000人増員することを計画する。

戦後のベビーブームで誕生した世代が高等学校進学を迎える時期でもあり、高等学校生徒急増対策もあわせての施策であった。こうした中で、1962(昭和37)年4月1日付で、神奈川県立磯子工業高等学校が本校内に開校する。このほか県下では、小田原城北工業高等学校(1961年開校)、向の丘工業高等学校(1962年開校)、相模台工業高等学校(1963年開校)と、工業高校の開校が続いた。小田原城北工業高等学校の開校に伴って、翌々年、本校の松田分校が統合され閉校したことは前述のとおりである。

磯子工業高等学校は翌1963(昭和38)年10月1日を以て横浜市磯子区に移転するが、この年の4月、人学志願者の激増に対する措置として、本校の定員が1割増員されているのもこうした時代の反映である。木材工芸・工芸図案の2科を除く各科で増員が行われ、電気科は1学級(44名)増の定員88名となった。

1958(昭和33)年4月から本校に新設された「電子工業科」についても記しておかねばならない。当時、電子工業科を設置しているのは全国でも神戸と徳島にそれぞれ1校だけであった。新たに設置を希望する学校は多かったものの、設備その他の問題から結局本校に設置されることになった。正式に決定したのが1月下旬。全国的に注目を浴びる新設学科であったが、復興の途上にあるなかでその準備は容易なものではなかったはずである。「神工時報」では、新しい科の内容について、次のように紹介されている。

「基礎理論を目的に

科の内容としては通信科に似ており、兄弟のような科と想像していただきたい。異なる点は通信科はいわゆる弱電であって、電気を自由に使いこなし、有線、無線、外に電波を発する事によって通信をし、又その機械、成立を理解する科であるが、電子工業科は電子管(真空管)を使い、神経や頭脳のような働きをさせる、いわゆる電子管やトランジスターを用いた電子装置、電気計測器などの基礎理論を学ぶことが目的である」

この電子工業科は1964(昭和39)年の4月から「兄貴分」の電気通信科と統合される形で「電子科」(2学級・定員80名)として新しいスタートを切った。

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