県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 神奈川工業高校1
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校長の海外視察

県下の工業教育のリーダー的存在を期待される本校の校長は、何度か海外視察の機会を得ている。古いところでは1922(大正11)年秋山校長の中華民国視察があげられるが、戦後も第3代山賀校長と第4代副島一之校長が海外視察を行っている。

当時全国の工業高校校長が「産業教育振興法」の立法化運動に奮闘する中、山賀校長は、1950(昭和25)年、アメリカの招聘でアメリカ各地の工業教育を視察する。文部省による職業教育振興のための第3次教育使節団の一員としてで、工業高校の校長としては他に愛知工業高校の草ケ谷校長が参加している。

期間は10月24日から翌年2月8日までの3ヵ月半にわたった。副島校長は1961(昭和36)年、日本生産性本部から欧米視察に派遺されている。この時、副島校長は団長を務めた。団長自らがJPET(Japan Productive Education Team)と名付けた一行9名は1月4日、羽田から空路サンフランシスコに渡るとアメリカ各地の工業高校、工業大学並びに工業地帯の見学を行った。2月10日にワシントンで報告会を行った後、副島校長はさらに工業技術の視察のためヨーロッパヘ赴く。帰国後、『神工時報』に寄せられた報告から抜粋する。

副島校長 アメリカ・ヨーロパ記 専門教育徹底の外国

ロサンゼルスの学校、機械科(機械工作だけ)金属(メロウと聞こえる。溶接板金)印刷科(モノタイプ製版・写真版等)エレクトロニクス(ラジオ)タイプライティング等、みな手の技能に精出している。

ヘガースタウン(マリーランド州)有線テレビで48校をつなぎ、郡教育委員会にテレビ放送局専任教師20数人を置いている。放送局スタジオと小学校のフランス語、音楽のテレビ授業を見る。テレビの先生、教室の先生、生徒の三者、よく呼吸が合った的確な授業。高校の数学などもやっているが成果は疑問。

英国は工場に通っている青年を必ず学校に出さなくてはならない。3か月工場、3か月学校というサンドウイッチ方式に大変力こぶを入れて技術者養成につとめている。

ドイツのエッセンの工業学校・校長フィッシャ博士がいちいち実験装置を操作して熱心に案内。セラミック科(やき物から出て、半導体まで)原子核科など。アメリカの工高には機械電気と並んで食物・タイプ等もあるが、ドイツでは機械・電気の学校と建築・工芸の学校はハッキリ別の学校。ここも工場に勤めながら上級の勉強するのが本筋。

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