県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

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世界恐慌と就職難

第一次大戦による「大戦景気」で、日本の工業生産額は鉄鋼・機械・造船・電力・化学等の重工業を中心に大幅な伸びを見せ、この間に農業生産額を上回るようになる。しかし、まもなく戦後恐慌、そして関東大震災の被害に続く1927(昭和2)年の金融恐慌、さらに1929(昭和4)年、ニューヨークウォール街の株価暴落に端を発する世界恐慌は、1930(昭和5)年になると日本にも波及した。そして、その影響は本校でも深刻であった。特に卒業を控えた生徒の進路の問題に関して、それは顕著に表れた。

開校以来、高い教育内容で評価され、産業界に多くの人材を提供してきた本校には、職員生徒ともに、一中二中にも負けぬ」というプライドがあった。とはいえ、この不況下での就職運動はさすがに困難を極めた。例年就職先には恵まれていた機械科・電気科でさえも、1929・30(昭和4・5)年の2年間は何とか凌いだものの、1931(昭和6)年になると、卒業時に就職が決定している生徒が卒業予定者の半分以下という有様だった。

「戦後恐こう時代と昭和4年世界経済恐こう時代と不況時代には(秋山)先生もずいぶん就職のことでご苦労されたことと聞きました」(50周年記念誌「50年5月の空はかはりなし」 旧職員 岡田義裕)

秋山校長自ら生徒の就職先の開拓に奔走する日々であったようだ。当時、本校では5年生の担任は各科の科長が担当しており、業界とのつながりにも責任を待ちながら、生徒の就職に関する面倒を見ていたので、この時期の担任の苦労は相当なものであったという。

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