県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

100年の足跡 3年制工業学校の頃
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工業学校作業資金と校長公舎

校長公舎

工業学校は、実習に重きを置くという教育内容の性質上、設備と消耗品に多額の予算を必要とし、「金食い学校」と呼ばれることもしばしばであった。次ぺージは、当時の本校における経常費と実習用消耗品費の額を表にしたものである。

前述のとおり、生徒が負担する授業料は月額50銭(年額6円)ほどである。1913(大正2)年、本校に赴任した仙波昇作がその月給を45円と記憶している時代であることを考えれば、相当の経費が支出されていたことがわかる。

こうした中で、1917(大正6)年度、県の一般会計繰人れ金1,000円を基金として、工業学校作業資金(特別会計)が設けられたことは、生徒の特別実習に大きく役立った。建築工事その他物品製作を生徒の実習として受注し、その材料購入費等にこの資金を充てる一方、作業で得た収人を基金に繰り入れるというものである。校地内に建設された本校の校長住宅をはじめとして、建築物では横浜商業学校(現市立横浜商業高等学校)の大典記念図書館と銃器庫、都田村役場、その他住宅2棟、家具としては県下の中学校の物理化学実験台、羽二重検査所のテーブル・机、帽子掛け、生糸検査所のテーブル・椅子・衝立、大倉陶園と女子学習院の机等が大正15年までに製作された。1917(大正6)年度末現在2,492円76銭だった基金は1926(昭和元)年度末には11,314円97銭にまで増えた。

さて、建築科の生徒実習で校地の北東隅に建てられた校長公舎は、建築科教員の指導のもと外部の手を借りずに完成した。公舎は校長家族の生活の場であったとともに、教職員のクラブ的機能も果たしていた。初代杉本校長夫人は前任の福岡工業時代に「教職貝家族会」と称して正月の互礼会や春秋2回の懇親会を行っていたということだが、本校にもそうした習慣が持ち込まれ、更に2代目の秋山校長にも受け継がれたようである。当時の教職員は「お正月の家族会もいいものだった。独身の私共も幹事役になって子供の福引の品を買って来てお相手をした」(50周年記念誌・「38年の回想14代校長副島一之より」

「毎年正月の三日頃、全職員の全家族が寄宿舎の庭に集まって慰安会が催された。いろいろの余興や福引園遊会などがあり楽しい一日を送ったものだ」(50周年記念誌・「17年間の想い出」旧職員・吉田前十より)とその様子を振り返っている。公舎の庭に植えられた楠の若木は、創立50周年の際、当時の校門の付近に移植され(当時は樹齢70年の巨木となっていた)現在も学校の日々を見守っている。

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