県立神奈川工業高校 創立100周年記念誌

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秋山校長退任・山賀校長着任

1937(昭和12)年、秋山校長が退職し、金沢市立工業学校から、山賀辰治が第3代校長として着任する。同窓会の設立にも尽力し、初代同窓会会長でもあった秋山校長の勇退は、各万面から惜しまれたが、新校長は精力的に学校を引っ張っていさ、戦中・戦後と激動の時期、本校の舵取りを担うことになる。

「新任の山賀校長はファイトの塊のような、力の人に見えた。時代が非常時色強く、工業教育界の積極策がとられる国策にも合って、どしどし新しい構想の実現に乗り出した」(50周年記念誌 38年の回顧 副島一之)50周年記念誌に掲載された山賀校長の談話筆記を引用する。

「何分にも前任の秋山先生がご老今だったので、私がずいぶん若い印象を与えたもののようです。そういえばあの頃は私も若かったものです。いつも困ったものはやはりお金でした。

何をしようとしてもこれには弱りました。これはいつも変わらないようですね。今でこそ実習機械は国産品を使っていますが、当時はみんなイギリス製やドイツ製でした。イギリス製はじょうぶで長もちがよくてよく使われました。ほんとうに実用的です。度量衡もイギリス式です。舶来か和製かが機械をみるとすぐわかったものです。そんなわけで実習機械は当時の会社工場の水準をいっていたわけです。戦時中木材工芸と図案が廃止になったときは、身をきられるような思いでした。そういえば戦争も終わりの頃、女子の生徒をとりましたがそのために女の先生を一人採用したことがあります。戸塚の綜合実習工場では苦労しました。機械はわずかに待避しておいて焼失をまぬがれた電気科のものを、もっていって利用しました。また藤沢の東京ラシ(螺子)の工場の機械が賠償指定になっているとか何とかいうのを、うまく出してもらって大変たすかりました。そうして何とかあそこまでこぎつけたわけです」

終戦直後、進駐軍に接収された校地の一角で学校を守ったのも山賀校長であった。

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