神工会報 第104号 
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クラス会だより

48期(機械科2組)古希クラス会報告 若干18歳で神工を巣立った悪餓鬼も波瀾万丈、中には順風満帆で50年が過ぎ、入学時の42人も11人が故人となり現在の級友は31人になった。今年古希を迎えるにあたり一昨年の夏から準備を進め、去る2月25〜26日に湯河原温泉の「ニューウェルシティ湯河原」で古希クラス会を開催した。
参加者は25名、遠くは函館から参加してくれた剛の者もいた。幹事の紹介の最後に今回、副幹事をお願いしたM氏が紫色のチャンチャンコと同じ色の頭巾で現れ、一同仰天! その後がまたビックリ参加者全員にプレゼントされた、感謝感激。宿の浴衣の上に全員が着込み、記念撮影。
幹事長石田氏の挨拶の後、今回も前回の還暦クラス会でも一番の立役者、増田氏の乾杯で飲み放題の祝宴が始まった。料理は二の膳付でメインは陶板焼きのステーキ、刺身、焼き魚等々、湯豆腐鍋あり、釜揚げシラスや塩辛など10品以上のご馳走だった。祝宴会場の廊下を出た所に二次会の席が設けられ、座敷からテーブル席にかわり、「自分の近況報告後歌う」の取り決めでカラオケ開始、新井氏の司会で2時間の短い事。特筆すると椎名氏が中々の歌手でした。二次会のお開き後、幹事部屋で三次会をする人、全自動の最新台で麻雀をやる人、両方共に午前2時に終わり床についた。
二日目の朝は前の晩の二次会で終わりにした君子諸兄に起こされ朝食は7時。納豆、アジの干物、目玉焼きで皆良く食べた。中には迎え酒の豪傑もいた。9時にゴルフ組が出発、宿から15分の湯河原カントリー。誰かはラウンド終了後昇り降りの凄さに「私は二度と来ない」とぼやいていた。10時、残りの人はホテルのバスで幕山梅林へ直行、売店で酒とつまみを買い込みここでも宴会。昼頃解散。
 機械48期2組 山本 日出夫 記

懐かしき友と48年振りに再会 電通51期 昭和40年3月に51期生として電気通信科を卒業した。2年後輩から電気通信信科と電子工業科が統合し、電子科2クラスの卒業生となる。3年時に授業の一環で三ツ沢グランドで行われた東京オリンピックのサッカーを観戦した想い出がある。この年の10月1日に新幹線が開業したり、数年後には東名高速が東京から大阪まで繋がったり日本列島が活気に満ちていた年だった。
1年半前に神工創立百周年記念を機会にクラス名簿の整理を行い、1年時の担任であった松尾勝郎先生をお呼びして14人が参加したクラス会を開催。2月23日に中華街でクラス会を実施したが、残念ながら前回の半分強の8人の参加者だった。内容は冒頭に書いたように卒業以来48年振りに再会した友が加わり懐かしい話で大変盛り上がった。次回のクラス会に向けて健康に留意し、悪さ?をせず健やかに過ごし再会しよう! と解散した。
 電通51期 山下 昌幸 記
クラス会と校舎見学会 電子57期 多分卒業してから3回目のクラス会だったと思う。年末開催だったのとスキーへ行くなど不参加が殆どで、参加したのは先生とクラスメート4名だった。時は昭和48年。1973年の事である。
その時私ともう一人が次回の幹事に任命されたが、あっという間に30数年が過ぎ去った。気が付けば同窓会名簿の住所が殆ど空欄であった。
2005年にミニコンポの修理を依頼した時に、直しに来てくれた人が、神工在学経験があると聞き、卒業アルバムを引っ張り出してみると、同窓会名簿で住所が空欄だった、担任の塩澤先生の住所・電話番号を手書き修正しているのを発見。早速NTTの番号案内に問い合わせると、メモと同じ番号が帰ってきた。
すぐに電話をして無事先生に私を思い出してもらった。それからアルバム記載の電話番号に電話をしたり、図書館で電話帳を調べたり…何とかほぼ全員を探し出す事が出来た。
以来ほぼ年1回のクラス会を実施しているが、今年は還暦を迎えたので、クラス会と還暦祝いを兼ねて実施した。宴会の前に立派になった母校の見学会も企画した。目玉は室内温水プールである。残念ながら仕事や私事の都合、親の介護などで校舎見学は8名参加、その後の宴会は11名参加と少し寂しい数字ではあったが、久しぶりに会う仲間は皆元気そうで、また次回開催 電子57期 長島 博久 記

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