神奈川工業会は、県立神奈川工業高校の同窓会です 

記念誌 二渓の風に乗って

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100年の足跡 戦時下の学園

報国団の結成と勤労作業

1938(昭和13)年4月、国家総動員法が公布され、6目には、神奈川県が県下の各中等学校に対して、学校報国団を故成するようにとの指示を出す。これに従って本校ではそれまでの校友会を改組し、次のような学校報国団の祖織を作った。

団長 校長

副団長 教頭

参 与 配属将校

総務部 企画 報道 工作 庶務 会計の各班

訓練部 修養 勤労作業 救護の各班

体操部 剣道 柔道 弓道 陸上競技 水泳 器械体操 野球 庭球 蹴球 排球 龍球 遠足 養護 角力の各班

文化部 図書 書道 絵画 立曰楽 談話 朗詠 地歴研究 物理研究 化学研究 航空工学研究 無線工学研究 園芸の各班

国防部 国防競技 防空 防諜 滑空 乗馬 射撃銃剣 銃後奉公の各班

それぞれの部には部長、班には班長と監督が置かれ全ての教職員が配置された。

県が示した報国団の具体的活動内容の例は、生徒の集団訓練、勤労作業、出征者傷痍軍人及び遺家族の慰問・援助であった。学校では白幡池の上にある通称地頭山という丘の上の土地を借り受け、教職員生徒総動員で開拓し、実習農場を作った。当時土地の借り入れの交渉にあたり、農場班長を務めた国語科教論三井恵文は、農場での勤労作業の模様や、農場視察官が来校した際のエピソードを次のように綴っている。

「農業の経験もない私に農場班長が命ぜられ、一丁(町)ニ反歩の中百姓になったり、工業の生徒が農業学校のまねをしたり、実におかしなものだった。(中略)

農場の作業は大体午後から行ったように記憶している。夏の炎天下や冬の寒風やあまりいやな記憶は残っていない。私が農場で段取りをして待っており、付添の先生が一人か二人、生徒5、60人の一隊を引率してやって来る。一隊には荷車が2、3台、それには下肥の桶やら農具類が積まれている。下肥は岡の下から生徒2人宛で天秤棒でかつぎ上げられる。こんな仕事でも生徒達は愉快そうにやっていた。(中略)

戦争が醒になって来ると、花畑にも野菜を植えろ、庭園なんて贅沢だなどやかましくいわれ出した。山賀校長も農園花壇も惜しいがやめなければなるまいか?と遠慮がちにうながされたほどだった。「日本中の花壇を全部やめたら花の種はどうなる。」そうまでは考えなかったが兎に角私は惜しいことだと思った。この花壇は農園の入口にあり広さは30坪、私の庭の全部、学校にあったものや色々苦心してあつめたものだ。ダリヤ・カンナ・ひまわりなど四季それぞれの花が咲いた。

やがて県の農場視察官が2人やって来た。予告より時間が遅れたので生徒はかえしたあとだった。いやでも花壇が目にとまり一寸不審そうな表情がうかがわれた。私の方から口上を切って「校長からは度々注意されたこと、視察官の意向をきいてからでもとりこわしはおそくないこと、只今は教室にも花がなく潤いに乏しいこと、情操教育の必要なこと」などいろいろ話しているうち、お互いうちとけ、つい黙認ということになってやれやれ」(50周年記念誌「回顧談」)

富士裾野での軍事訓練 箱根報国寮

1939(昭和14)年には、箱根旧街道「畑宿」に「箱根報国寮」が完成し、心身の鍛練=錬成と称して宿泊訓練が行われるようになる。県下の各中等学校から代表生徒が参加したり、学校単位で利用されることもあった。作業の内容は、寮の庭を整備するための石運びや薪割り、炭焼き、植林などで、夜になると精神訓話を聞くことになっていた。本校でも報国寮を利用した宿泊訓練が行われた。当時の訓練の模様を1939(昭和14)年発行の二渓苑7号から引用する。

(午前五時起床、5時〜5時半清掃洗面)

静粛な山間の空気を破って突然けたたましい板木の音、さあ愈々今から今日一日の活動の火蓋が切って落とされるのだ。班員こぞって蒲団をけって飛び起きた、直ちに窓を明けはらい、夜具を所定の場所に収める。外は未だ真暗だ。寮内外の清掃に取りかかる、各自持場の清掃に余念がない。無言の中に忽ち寮内を磨き上げ、終えて洗面所へ、冷水にて顔を洗ひ寮庭へ出る。朝の空気が冷ややかに頬にふれる、此の頃東天漸く白み周囲の山容も鮮明に成る。(5時半〜6時半朝の行事)全員整列朝の点呼、国旗掲揚、君が代の奉唱と共に国旗に注目する。日本国民としての言い知れぬ感激が切実に感じられる。皇居及び伊勢大廟に対し奉り温拝、又思ひを遠く戦場に馳せ勇戦御奮闘下さる皇軍将士の武運長久を析願、併せて陣没将兵の冥福を祈り静かに黙祷する。

終へて鉢巻姿も勇ましく木剣を正眼に構へ「お面!・お胴!」と一振り一振り腹の底からしぼり出す様な気合いと共に敵よ真二つになれとばかり打ち込んでいく。次に建国体操、一挙手一投足を攻撃的精神に燃え突き上げ打ち下す、続いてマラソンだ、「よいさ!こらさ!」の掛声に山を只下る、往復15丁程の山道も帰りの上りは苦痛だ、頭にぽっぽと湯気を立てて寮へ帰る。まもなく静座だ、「ぱちっ、ぱちっ、ぱちっ、」

三つ目の拍子木で無念無想の境に入る。やがて拍子木の音に現実の世界へ呼び戻される。(午前6時半〜7時朝食)板木の音に班員各班室前に整列行動へ向ふ。全員着席一瞬静寂、…寮長殿の「神前」の号令で正面の神棚に対し敬礼、厳かな食事訓をとなへ箸を取る、一汁一菜、一粒飯に万の恵みを噛みしめて戴く。終始感謝の中に食事を終へ食後の食事訓を唱へて後食器を洗ひ膳箱に収め各班室へ帰る。

(7時〜8時講話)講堂へ入り寮長殿より森林洽水事業に関する講話或ひは勤労作業に関する予備知識のお話等あり、森林洽水事業の重要性を自覚し、同時に其の事業の一部を担当し少しでも国家の為になると思ふと実に愉快だ。講話も終へて出発準備に取りかかる。地下足袋、ゲートルで足拵もしっかりとリュックサックを背に寮庭へ整列点呼、「班の国旗を迎へ」の号令に旗手は自己の班の国旗を持参する、一同国旗に対し注目、愈々出発だ。

先づ「至誠奉公、質実剛健、規律節制」と力強く寮訓を唱へ、各自作業道具を肩に国旗を先頭に足並みも軽く今日一日の勤労の希望に胸を躍らせて、颯爽として目的地に向ふ。「勝って来るぞと勇ましく::」露営の歌を合唱しつつ働くことの喜びに、期待を持って勇躍前進する。五班が半分に分かれて二郎は峻厳な山道を蹟渉一時間半にして県有林に達し、此処に於て防火線の下苅作業を行ふのだ。

相模湾を一眺に収め相模平野を眼下に見る景勝の地だ、雑草を次々に大鎌でなぎ倒して行く、国旗のもとに全員汗みどろの勤労奉仕は着々と其の実績を上げて行く。他方、沢に下りた班は荒廃林地の復旧事業に参加するのである。寮より30分にして到着、国旗を中心に砂利採集、運搬或は堰堤床掘作業に班員一致協力の中に孜々として倦まず献身的努力を捧げる。斯くして一日の勤労奉仕を終へ各自其の責務を遂行し得た喜びと明日の希望に燃えて寮へ帰って行く、「見よ東海の空明けて」愛国行進曲の合唱に疲労を忘れて帰路を急ぐ。

寮に帰着、順次各班毎に入浴砂塵を落としつつ今日一日の出来事を語り合ふ。僅か10分間ではあるが和やかな一時だ。(午後五時〜六時)夕食を終へて始めて白由な時間が来る。家へ、友に、嬉しい便りを書く、或る時は名士の御講演に耳を傾け感銘し、又寮長以下膝を交へての座談会、八時静座静かに一日を反省する終つて点呼、就寝八時三十分消灯。斯くして行に始まり行に終り感謝に満ちた一日は終る(「箱根報国寮生活の一日」電気科 大工原 光夫)

富士の裾野に出かけての軍事演習は以前から行われていたが、1940(昭和15)年発行の二渓苑8号の目次に「富士裾野演習日記」「報国寮生活所感」「勤労作業感想」等の題名が見られるのは「皇紀2600年」とされたこの年の世相を反映してのことであろう。

演習日誌に当時の演習の模様をうかがうことができる。

6月10日(土)晴

5時起床武装をして家を出発6時25分頃横浜駅着整列点呼ありて後暫く休む。車中で何処かの重砲隊の兵士と一緒になり種々話をきく。御殿場駅より浅間神社に参拝、昼食、是れより警戒行軍、割合近かった。廠舎着後内務班の編成あり。夜は夜襲の動作、僕は仮設敵となり空砲を打つ。帰営後九時点呼、それより少し銃の手入れ、9時消灯、直ぐ眠れた。

6月11日(日)曇

五時半起床。洗面等をし6時より点呼、中隊長発声にて軍人勅論の奉唱、建国体操、午前中は高地の敵を攻撃し最後の突撃の時はもう殆どフラフラであった。それより再び方向を変へて戦闘訓練を行った。もう無我夢中で突撃し午前の教練は終り帰営した。午後は廠舎の直ぐ前で狭窄射撃を行った。僕は一番先に射った。距離15米、爆音板を貫き後の土にめり込む弾丸の音、実に何とも云へない良い心持ちだ。空気銃とは大分感じが違ふ。3時半頃帰営、5時頃入浴、夜になってから雨が降り夜間の演習は中止、軍人勅論を暗記した。8時半消灯教官が来られて誰か注意をされていた。

6月12日(月)雨

午前1時半起床し不寝番となった。相当寝相の悪い者がゐる。2時半交替再び寝た。午前8時より細雨をついて両軍に別れ戦闘、吾々は白帯をつけ清水少尉に引率され台地の敵を攻撃す。ズボンはずぶぬれになった。これを終ってから駒門名物の風穴を見学す。仲々ものすごいが拓山ある。午後廠舎の前にて鉄条網の破壊、防毒マスクの使用法煙幕の中を分隊の突撃演習あり、皆とても眠たさうである。帰営後銃の手入れ入浴をし酒保へ行き腹一杯食べた。夜は帰還準備八時半消灯教官の検査あり。

6月13日(火)晴

4時半緊急集合し六時に廠舎出発往とは別の道を行軍浅間神社参拝、8時四十分頃の列車にて横浜へっく学校迄行軍銃の手入れ昼食をなし解散す。復りの行軍は相当道のりがあり大分参った」(「富士裾野演習日記」機械科 柵井 昇)