神奈川工業会は、県立神奈川工業高校の同窓会です 

記念誌 二渓の風に乗って

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100年の足跡 神奈川工業高校1

女子生徒

本校に初めて女子生徒が入学したのは、記録によれぱ1945(昭和20)年4月。機械科と電気通信科にそれぞれ25名が入学した。戦争末期で教室にも不自由していたが、既に閉鎖されていた二渓寮を利用して、2教室を作り対応した。空襲が激しくなる中、初めて迎え入れた女子生徒への気配りは、相当のものであったようだ。そのために、新しく女性の教員も採用された。

横浜大空襲で校舎が焼失してからは、連絡や通学が困難になったために退学したり、終戦後、女子の学校に転入させたりして、卒業までには至らなかった。次の女子生徒の入学は、新制高校発足後のこととなる。それでも、工業高校という性格上、女子生徒の数は圧倒的に少ない。女子生徒にとって居心地のよい環境を整えることは、共学が当たり前のこととなっても(なったからこそ)課題であったようだ。1960(昭和35)年12月24日「神工時報」にこんな記事がある。

「〈女生徒の希望を聞く会〉開かる

さる10月13日のHRの時間に全校の女生徒と生徒指導の村田先生と丸井(DT担任)岩富(DV担任)各先生が本館2階の図書室に集まって女生徒の希望を聞く会が開かれた。この会は、村田先生が本校の女生徒は40余名の少人数なのでとかく女子の意見や希望は無視されがちなのを考慮して設けたものである。

10月13日の会合では、服装のことで、制服を定めるかどうかということが話し合われ、色は学校の方針で紺系統にして形は一定の基準を設けるということに意見が一致した。同時に今後の会の運営は3年の女生徒が主になってやっていくことが申し合わされた。なお第2回目の会合は191月16日の放課後に図案科3年ホームルームの隣の室で3年の女子を中心に集まり懇談会が開かれた。その時、3年の男子生徒らに「女生徒をからかうのはやめてほしい」という意見が出た。また、「今後この会を続けていってもらいたい」というある女生徒の意見があった」

当時、女子の制服として定められた形はなく、女子の制服として正式なものが定められたのはさらに35年後、1995(平成7)年校舎の建て替えとともに男女揃って新しい制服が制定されるときのことであった。