神奈川工業会は、県立神奈川工業高校の同窓会です 

記念誌 二渓の風に乗って

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100年の足跡 創立前史

県立工業学校新設に関する建議

1905(明治38)年11月、他県と比較して著しく遅れていた実業教育施設の拡充を目的として、神奈川県議会は、県立実業学校新設のための予算案を可決する。当時、県立の実業学校を持たないのは、全国で長埼と神奈川の2県のみであった。この予算は、当面農業学校の新設計画に充てられることとなり、1907(明洽40)年に、県立農業学校(現在の県立平塚農業高等学校)が開校する。

一方で、同年12月に、橘樹郡城郷村小川道之助議員と同郡橘村中村源左衛門議員からそれぞれ「県下ノ実情二鑑ムルニ商業教育ニ付キテハ夙(つ)トニ其ノ設備アリ農業学校ニ付テモ亦見ルヘキモノアラムトスルノ機運ニ向ヘリ獨り工業教育ニ対シテ未ダ何等ノ設備アラザルハ実ニ遺憾トスルトコロナリ」(小川建議一「工業ヲ振作スルノ道ヲ講ズルハ本県ノ富昌ヲ求ムル所以ナリ」(中村建議)との趣旨で県立工業学校設立の建議案が提出された。採決の末、中村議員の建議のみが採択されたが、県会理車会が工業学校新設の余地ありとの回答を行ったため、同建議案は建議者により撤回され、改めて「近イ将来ニオイテ工業学校ヲ設クルト云フ事ヲ理事者ニ望ム」との建議が提出され全会一致で認められた。こうして工業学校設置の動きは具体化へと向かうことになる。問題は学校をどこに誘致するかであった。