1929(昭和4)年、職員の殉職という悲しい出来事が起きる。機械科長だった中山秀道教論が、機械据え付け作業中に梁から転落して死亡するという事故であった。
「機械科長で小柄な坊主頭に曲がった眼鏡をかけ、片足を少し不自由に歩く、それで柔道もやる。禅坊主のようで、大変頭の良い、そして勉強家。人なつこい中山さんは私の好きな先輩の一人だった。機械据付け中、梁の上から墜落して亡くなられたときは全く悲しかった。藤原義江のレコードを愛していた」(50周年記念誌「38年の回顧」4代校長 副島 一之)
1920(大正9)年の着任以来、本校の発展に尽くし、また後輩職員からも慕われた機械科長は、学校葬を以て送られた。