神工時報 第42号
20周年記念事業に関する具体案略々定る
1月28日午後5時半より午後10時にわたり、母校会議室に第1回調査委員会開催
劈頭(へきとう)会長より、夜間殊に寒中雪さえちらちら降っている中を出席された労を謝する旨の挨拶とともに、客年の祝賀会ならびに記念品贈呈等に対して丁重なる素味があった。
議事に入るに先立ち、小川君より委員長専任の動議が出たところ、会長および一般委員の賛成を得たので、委員長1名および副委員長2名を互選することに決定。直ちに33ネイの委員名を参考のために正面ボールドに連記して連記無記名の投票を行ったところ高橋暢君委員長に、佐藤一馬君副委員長に当選、鈴木寛司君と小川本成君とは同点なるにより、決選投票との議ありしも、ともに副委員長たるを可とせんとの緊急動議が成立して、副委員長は佐藤君と合わせて3名に決定した。
高橋君東京市へ出張のため出席多少遅くなる見込みにより佐藤君議長席に就く。議事は午後6時より午後10時過ぎに至るまで、5分間の休憩さえも取らずに、異常なる緊張理に行われた。秋川会長ならびに仙波副会長も長時間これにご臨席あり、またご指導の労を取られた結果。遂に次の議案を議決するに至り、ここに20周年記念事業に関する方針が略々確立するを得た。
1 事業
(A)祝賀会当時になすべき事業
以下、略
(B)永久的事業
以下、略
2 拠金
(イ)1口1円として最低3口を希望(全同窓会員を一丸としたるとき)
(ロ)払込は一度払い、二度払い、連続払いの3方法(詳細は次回に保留)
(ハ)卒業年度により最低の度を少しずつ上昇せしむこと。即ち
(卒業回数) (口数)
1、2、3 10
4、5、6 9
7、8、9 8
10、11、12 7
13、14、15 5
16、17 3
(以上)
以上に掲げられた、記念事業は、単にかかる事業をしたいという希望案にすぎないものであって、これに要する予算等も未だ詳細には考えられていない。従って拠金の結果によりその中のより重要ならざるものから、より重要なるものの順序に遡って幾分割愛しなければならないものも出てこようし、場合によってはそれ以外に為すべき事業が出てくるかもしれない。ここでは大綱を定めたに過ぎないのである。
拠金に関しては最も議論のあったところで、殊に最低に口数を定めるについて然りであった。
最低口数を定めた理由は2つある。一つは、漫然寄付を申し込まれたのでは、被申込者がその額の選定についてかなり困難を感じる、その時の助けになる為と、も一つは拠金総額の大体の見込みをつけるためとである。
勿論後者より前者を重視したわけである。寄付を依頼するに最低金額を指定するということは心持よくないものには違いないが、会員の便宜のために定めたものであることをご了察ありたい。
而してそれ等はいわずとも勿論希望だけのもので、寄付の高は結局寄付者の任意であるわけである。
10周年記念事業は当時の会員の非常な努力によって、意想外の大成功をおさめることが出来た。
それより再び10年の歳月をへだて、卒業生の数からいっても更に大きなへだたりを持った今度の記念は括目してみるべきものがあるであろう。
幾くは同窓卒業生諸君、吾等が母校、神奈川県立工業学校のために、而して母校が正に行わんとする20周年記念事業のために、ともに最善の努力を尽くされんことを。
当日の出席者
秋山 会長、仙波 副会長、小川 木成、神代 亮平、北見兵三郎、大江 良吉、小針 徹爾、佐藤 甫、柳下 國雄、田中彌之助、古屋 信夫、高橋 暢、太田義之助、長安 栄亮、麻山豊一郎、橋本猿三郎、林 由一、今井 健、佐藤 一馬、田島 舜次、坂間 俊造、澤田 久
表紙タイトルについて
本号より使用された表紙タイトルは、題字は校長先生のご揮毫で、図案は金子先生の意匠にかかるもので、特に本紙のために寄せられたものであります。
ここに両先生に対して深く感謝の意を表する次第であります。
第81号 昭和8年3月30日
賀陽宮両殿下 本校に御台臨栄に輝く二渓ケ岡
3月13日賀陽宮(かやのみや)殿下には妃殿下御同伴にて文部省武部普通学務局長御案内申し上げ、横浜市教育状況御視察のため御来浜遊ばされ男子中等学校としては名実倶に備はる本校を御覧遊ばさることとなり午後2時、校門前広場に整列せる各科2年生1年生及び沿道各団体一般来迎者に御会釈を賜ひつつ御来校遊ばされた。
玄関にて御待ち申し上げし校長御案内し一旦校長室にて御休憩遊ばされ次いで秋山校長御先導武部局長、横山本県知事、大西市長、平沼亮三氏共の他諸員追従し、図案科、建築科、家具科、機械科、電気科の順にて実験室製図室御実習工場等を隈なく御熱心に御視察遊ばされた。時々机間に入られ或は実習中の生徒に専門家も及ばざる如き御造詣深き御下問を賜はり如何に殿下が工業方面に深き御関心をもたるるかが拝察せられ校長初め一同唯々し恐懼した次第である。水力実験室を最後に約50分間無事御視察を終はせられ再び校長室に至り御少憩の後御機嫌麗しく御帰還遊ばされた。
先には東久邇宮殴下御台臨の栄を得今又ここに両殿下を御迎え申上ぐるの光栄に浴せる本校の名譽は秋山校長日頃の御熱心にして御献身的なる御努力の結果に依るは論を挨たざれ共職員生徒協力一致和気逢いあいの中に培はれし比類なき吾が校風の醸せる賜であり斉しく同窓生諸君にも喜ばるべきである。
尚両殿下には当日本校の外県立第一高等女学校、私立隣徳小学校.市立太田、間門小学校及震災記念館等を巡察になり明治文化の発祥地たる吾が横浜市の教育状況の御視察及復興後の市内を御覧遊ばされ御満足の体なりしやに洩れ承る。
昭和8年3月30日